浮世絵にみる 神戸ゆかりの「平清盛」 第9回

中右 瑛

女人哀史 盛者必衰の運命に翻弄された 常盤御前

女人哀史のなかで最も劇的なのは常盤御前だ。源平の狭間を渡り歩いて盛者必衰の運命に翻弄された常盤。常盤とその児らの悲劇はドラマチックだ。
「平治の乱」で清盛に惨敗した源義朝の愛妾・常盤御前は京を追われ、幼い今若、乙若、牛若の三児を連れて、降りしきる雪中を伏見から大和路へと逃れる。
凍てつく冬の夜、七歳の今若、五歳の乙若の手を引き、生まれたばかりの牛若を懐に抱きかかえている常盤の姿図(図①参考)は、後世の人々の涙をしぼった。
さまよう母子は、この後平家方に捕らわれたが、常盤は三児の助命を乞い、その代り清盛の意に従い妾となったのである。源氏の棟梁の愛妾でありながら棟梁の死によって、敵である清盛の妾となる、という思いもよらぬ展開となる。しかし、源氏末裔の三児を助命した清盛の情けが平家滅亡の憂き目を招くのだ。激動の世のうつろいを感じずにはいられない。
しかし常盤の行動は、児のために犠牲となる日本の母の鑑として美化され、人々の共感を得たのである。
一方、助命を受けた子らは、他所に預けられた。今若、乙若は武士を捨て出家、今若は全成、乙若は円成と名乗る。
牛若八歳のとき、東心坊・阿闇梨の弟子となり遮那王と称し鞍馬山で修業を積んだ。鞍馬の天狗どもが、牛若の武芸を鍛え上げたのである(図②参考)。
長ずるに、源氏の重要な末商であることを自覚し源氏再興を秘かに願い、鞍馬を出て、金売り吉次の手引きによって奥州平泉の藤原秀衡のもとで匿われ成人して義経と名乗る。
治承四年、義経二十二歳のとき、兄・頼朝が源氏再興の旗揚げをするや、直ちに馳せ参じ、兄弟涙の劇的対面を果たすのである。
頼朝を助け、稀代の戦術家として源平合戦では華々しい活躍をしたのだが、頼朝に背かれ、悲劇的な末路を歩む。
そのことが後世の人々の同情をそそって「判官びいき」の感情がうまれ、国民的英雄として世に語り継がれている。五条大橋での弁慶との出会いや、源平合戦のあと頼朝に追われ、安宅の関の逸話など伝説は多い。

命乞いで助けられた牛若らが成人して、源平合戦で平家を滅亡させたことは、清盛にとって大きな誤算であった。因果なめぐり合わせ、世のうつるいの無常さ、無念さが、図らずも語られている。
常盤と清盛との間に生まれた娘・廊の御方も屋島合戦で捕らわれの身となった、と『平治物語』は伝えている。同じ清盛の娘であった建礼門院とはその人生は大いに違う。
常盤もその後再婚し、運命は巡る。

(図①)歌川国芳・画「雪中常盤と子ら」

(図①)歌川国芳・画「雪中常盤と子ら」


(図②)歌川芳員・画「義経鞍馬山図」(牛若丸修業の図)

(図②)歌川芳員・画「義経鞍馬山図」(牛若丸修業の図)

中右瑛(なかう・えい)

抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。


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目次 2012年9月号