みんなの医療社会学 第十七回

医療ツーリズムの落とし穴

─医療ツーリズムとは?
坂本 医療を受ける目的で他の国へ渡航することをいい、国際医療交流ともよばれます。一口に医療ツーリズムといってもその目的や形態はさまざまで、例えばベトちゃんドクちゃんのように自国で治療不可能な患者さんを人道的援助で受け入れるのもその一例です。一方で医療を営利産業とみなした利益目的の医療ツーリズムが近年増加し、世界約50か国で実施されています。2008年の段階で年間約600万人が医療ツーリズムで医療を受け、市場規模は2012年に全世界で8兆円まで拡大すると見込まれています。
─なぜ医療を受けるために海外に渡航するのでしょうか。
坂本 医療ツーリズムの渡航目的をみると、最先端の医療技術や質の高い医療を目的とするのが約7割です。ほかに待ち時間の解消や低コストが目的として挙がっていますが、その背景には各国の医療事情があります。例えば前者は、イギリスやカナダでは診断から治療まで時間がかかるため、待機時間の解消を目的に渡航するケースが多いようです。後者は、アメリカでは公的保険が不備なため多数の無保険者がいるだけでなく、民間の保険に加入していても医療費負担削減のため保険会社が医療費の安い海外での治療を推奨していることが影響しているようです。以前は新興国から先進国への渡航が主流でしたが、現在は先進国から新興国へという流れに変わりつつあります。
─どの国で医療ツーリズムが盛んなのでしょうか。
坂本 特に盛んなのはアジアです。タイ、インド、シンガポールでは国策で進められ、先進的医療機器と優秀な医師を集め、主に外国人富裕層を対象とした医療を超一流の病院でおこなっています。一方で現地では、医療格差や生命倫理などの問題がおきています。
─医療格差ではどのような問題がおきているのでしょうか。
坂本 有能な医師を高い報酬で引き抜くため、医療ツーリズムに医師が集中してしまっています。タイでは公立病院の5~10倍の報酬で医師を引き抜くために郊外や地方の公立病院では医師不足になり、地方の病院には研修医しかおらず指導医もいない状態と医療崩壊がおこっています。
─生命倫理ではどのような問題がおきていますか。
坂本 特に問題なのが臓器移植を目的とした医療ツーリズム、移植ツーリズムです。臓器移植は難病から多くの生命を救ってきましたが、絶対的なドナー(臓器提供者)不足なので、移植医療の商業主義化により臓器売買がおこなわれ、中国では死刑囚の、フィリピンではストリートチルドレンの臓器が売買されるというショッキングなことがおきています。それに対し2008年に国際移植学会は、臓器売買や移植ツーリズムに反対するイスタンブール宣言を表明し、WHO(世界保健機関)も臓器取引禁止と移植ツーリズム反対の決議を採択しています。
─日本でも医療ツーリズムは推進されているのでしょうか。
坂本 民主党の医療政策では経済成長の目的で推進されていますが、その検討委員に当初は医療関係者が入っておらず、経産省の主導でおこなわれています。神戸市でも神戸市国際先端医療特区計画で、神戸国際フロンティアメディカルセンター(KIFMEC病院)での外国人富裕層を対象とした生体肝移植の移植ツーリズム計画が進行中です。日本では脳死による臓器提供の制度が遅かったため、その代替として生体肝移植の技術が進化してきましたが、生体肝移植はドナーにとって医学的に適応のない世界唯一の手術であり、実際に死亡例もあって負担は大きいものです。
 また、実際に外国人を対象にすると、ドナーの身元確認が厳格にできません。ですから臓器売買の可能性を排除できないためイスタンブール宣言を厳格に担保できず、倫理上問題があります。
─営利目的の医療ツーリズムが推進されると、国民皆保険制度はどうなるのでしょうか。
坂本 医療ツーリズムはすべて自由診療でおこなわれます。自由診療は健康保険の適用外、つまり医療報酬が定められていないので、それを狙った医療の営利産業化がおこります。これが風穴となって保険外併用療養費の範囲拡大、ひいては混合診療の全面解禁に結びつくでしょう。そうなれば国にとっても都合の良い医療費抑制の建前となって公的医療保険の給付範囲縮小がおこり、やがて地域医療や国民皆保険制度、医療の公平性が崩壊するでしょう。TPPに参加して医療に市場原理主義が持ち込まれれば、この動きはますます加速します。
 兵庫県医師会は、地域医療や国民皆保険制度を崩壊へと導く利益追求型の医療ツーリズムに反対です。外国人富裕層を対象とした移植ツーリズムも、倫理上の問題を懸念しています。また、経済成長を目的とした営利化推進の医療政策が、医療関係者を排斥して進められていることも危惧しています。

20120507801

坂本 泰三 先生

兵庫県医師会医政研究委員会委員・
特区問題特別委員会委員
坂本医院院長


ページのトップへ

目次 2012年5月号