神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第61回

剪画・文
とみさわかよの

特定非営利活動法人 国際音楽協会 理事長
張 文乃(ちょう ふみの)さん

 

異国の曲ながら、哀調を帯びた旋律にどこか懐かしさを感じる中国音楽。その普及に人生を捧げる、音楽家の張文乃さん。張さんはかつて難病で再起不能と宣告されましたが、奇跡的に回復し復帰を果たしたそうです。「“できないと言ってはだめ、懸命に向かっていくことが人生で一番大事”と言う母と、悪天候でも毎日登山を続け“一度決めたら何があってもやり遂げる”と言う父。そんな両親に育てられたから、病気に負けなかったのでしょう」とおっしゃる張さんに、お話をうかがいました。

―音楽の道に進まれたきっかけは?

 神戸中華同文学校時代、音楽の先生がオルガンを弾く姿がとても素敵で、そうなりたいと憧れまして。6歳の時に病気をした時、注射を嫌がる私に母が「好きなものを買ってあげるから」と言うので、オルガンを買ってもらいました。とにかく音楽が好きで、中学時代はハーモニカ部と合唱部に入り、中国の歌劇を公演して評判になりました。高校時代も合唱を続け、音楽大学へ進むつもりでした。

―音大では、声楽を専攻されたのですか?

 ところが入試直前に喉を痛め、ピアノ科を受験したところ合格して…。でもこれが幸いしましてね、歌の伴奏を頼まれてはいろいろな先生のところへ行き、発声の指導も十人十色なことがわかり、視野が広がりました。音大オーケストラのピアニストも務めましたし、本当に充実した学生時代でしたよ。

―そして卒業後、夢かなって母校で音楽を教えることになったのですね。

 お給料をはたいて楽器を買って鼓笛隊を創ったり、鳳蘭さんに指導を頼んでバトントワリングをやったり、型破りな先生だったと思います。でも授業は苦労の連続でした。小学校3年生から中学校3年生までをひとりで受け持つのですが、教科書が無い。当時は国交正常化前ですから、資料もありません。伝手で入手しても「数字譜」なので、これを五線譜に改めねばなりませんでした。最初の頃は、ガリ版で楽譜を刷り続けましたよ。その後日本の音楽教科書を見ながら、中国の音楽教科書を作りました。今も母校では、その教科書を改訂しながら使っています。

―その後も音楽による国際交流を推進するNPO法人を設立するなどして、中国の音楽を紹介する様々な活動に取り組んでこられました。

 国際音楽協会は、毎年6月に「中国音楽コンクール」、そして日本と中国で2年ごとに交互に開催する「中国音楽国際コンクール」を主催しています。「中国女声合唱曲集」「中国歌曲集第一集」「中国歌曲集第二集」などの楽譜も出版、コンサートも開催してきました。日本の方が歌えるように中国語のイントネーションと発音を付け、読み方のCDも添えました。中華同文時代の、楽譜作りの経験が生きましたね。歌曲集だけでなく、「中国鋼琴(ピアノ)曲選」(全6巻)も出版しています。

―「音楽による日中友好」は、お母様の願いでもあるとか。

 私の父は中国人、母は日本人です。母は私に「日本の事を知らないまま日本に居てはいけません、日本の所作を学んできなさい」と、日舞を習わせました。私の歌う中国歌曲を「きれいな曲!」と褒め「あなたは日本に中国の音楽を広めなさい」と言ってくれたのも母。それが私のライフワークになったのですから、母の存在は大きいです。

―神戸で、これからしたいことは何でしょう?

 そうですねえ、今していることをきちんとやって、中国の音楽が日本に根付いてくれれば、そしてこの活動を継いでくれる方が居られたら、とても嬉しいですね。日中友好と言っても、私のしてきたことは草の根の活動。日本の人たちに中国の音楽が広まればという、その思いが一番です。   (2014年11月29日取材)

病を乗り越え、今日も仲間と活動する張さん。小さなことにも感謝の心を忘れない、優しい笑顔が素敵です。

とみさわ かよの

神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。


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目次 2015年1月号