2010年、ウィンブルドン選手権の会場を管理運営する全英ローンテニスクラブ(AELTC)が、芦屋国際ローンテニスクラブを訪れた

テニスを通して、 社会に貢献する《芦屋国際ローンテニスクラブ》

60年の歴史を持つ「芦屋国際ローンテニスクラブ」。
世界的なテニスプレイヤー清水善造さんや熊谷一弥さんも会員であった。
これまで、世界的に活躍するプレーヤーを数多く輩出してきた。
創設当初からの会員でもある靜会長に、クラブのこと、
そして芦屋とテニス文化のことなどお話しいただいた。

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会長 靜 敬太郎 さん

芦屋国際ローンテニスクラブ

1940年東京都生まれ。芦屋国際ローンテニスクラブ創設初期に会員となる。甲南中・高、大阪大を通してテニス部で活躍。この間、主将としてインターハイ(団体)を制覇。2009年より理事、2013年より会長を務める。現在、芦屋市テニス協会会長。

芦屋にはテニス文化の土壌があった
 明治9年(1876)ごろ、日本へ最初にテニスが入ってきたのは横浜と神戸だと言われています。昭和16年(1941)の調査によると日本中で最もテニスコート数が多いのは兵庫県だったようです。特に阪神間では盛んで、甲子園テニスクラブや神戸ローンテニス倶楽部などがありました。
 阪神間の中心に位置する芦屋では、大阪辺りの富裕層が建てた別荘や名だたる大企業の社宅などの庭にテニスコートがあるというのも珍しくなかったようです。甲南中学でテニスを始めた私も、住吉や芦屋の友達が住む住宅の庭でプレーをした記憶があります。残念ながら私の家には無かったのですが(笑)、自宅の隣が甲南大学の練習コートでしたので、飛んできたボールを返しに行くと、ひと際目立つ方がおられました。その方が松岡修造さんのお父様、松岡功さんでした。当時、小学生だった私に「君も甲南中学校に入って、テニス部に入るんだよ」とお声がけいただいた記憶があります。松岡修造さんには、当クラブへ指導にお越しいただいたこともございました。

世界に誇れるテニスクラブに育てよう
 昭和31年(1956)国体の兵庫県開催が決定し、「テニス競技をぜひ芦屋で!」と平野齋一郎さん、木村権右衛門さんを始め、テニスを愛する芦屋の名士と、当時の内海清市長を筆頭に芦屋市との間で話が進んだそうです。そして10面のコートとクラブハウスが建設され、時を同じくし、「素晴らしい設備ができたのだから、世界に誇れるテニスクラブを作りテニス界と国際交流に貢献しよう」と「芦屋国際ローンテニスクラブ」が創設されました。初代副会長の清水善造さん、全米選手権で日本人初のベスト4に進出した熊谷一弥さん等々、メンバーには歴代多くの名プレーヤーが名を連ねています。その中でも最も思い出深いのは、日本と世界のテニス界、そして当クラブにも大きな功績を残していただいた川廷栄一さんです。

市民とテニス界の今後のために
 阪神・淡路大震災は大きな転機になりました。この場所は仮設住宅として利用され、5年後、人工芝で再開しました。4面を芦屋市の貸しコート、6面を当クラブメンバー約500名のコートとして借り、新たなスタートを切りました。テニスはソーシャルなスポーツ、つまり人間と人間の付き合いを重視するスポーツです。縁あって集まったのですからみんなで楽しくプレーするのが原点だと私は思っています。
 さらに、市民とテニス界への貢献という役目も担い、施設全体の管理・運営を引き受け、ボランティアで様々な活動も行っています。例えば、毎年9月に開催する、男子65歳、女子60歳以上のテニス好きなら誰でも参加できる「芦屋グランドベテランテニス大会」。また、子どもたちにマナーとテニスを一緒に教えようという活動にも協力しています。今後も伝統を守りながら、社会貢献に積極的に取り組んでいこうと考えています。

芦屋川沿いの松並木に囲まれた芦屋国際ローンテニスクラブ

芦屋川沿いの松並木に囲まれた芦屋国際ローンテニスクラブ

①10面のコートの内4コートは市民に開放されている ②清水善造さん(左)や熊谷一弥さんも会員であった ③テニスを通して子どもたちにマナーを教える活動も評価されている ④会員約500名の憩いの場となるクラブハウス ⑤1956年にテニスコートとクラブハウスが完成 ⑥松岡修造さんを招いたテニスクリニック

①10面のコートの内4コートは市民に開放されている
②清水善造さん(左)や熊谷一弥さんも会員であった
③テニスを通して子どもたちにマナーを教える活動も評価されている
④会員約500名の憩いの場となるクラブハウス
⑤1956年にテニスコートとクラブハウスが完成
⑥松岡修造さんを招いたテニスクリニック

松並木に囲まれたテニスコートも芦屋らしい

松並木に囲まれたテニスコートも芦屋らしい

日本人唯一、ウィンブルドン名誉会員に
故・川廷 栄一さんを偲ぶ

 芦屋在住、同志社大学テニス部で活躍された川廷栄一さんは、卒業後、カメラマンに転向され世界中のテニス大会を追いかけました。瞬間を捉えるベストショットは多くの一流プレーヤーに喜ばれ、テニス専門カメラマンとして世界中に名をはせます。全英ローンテニスクラブ(AELTC/ウィンブルドン)では日本人唯一の名誉会員として認められました。これは毎年ウィンブルドン・シングルス優勝者と、特別な貢献をした人だけに与えられる栄誉です。私たちにとっては雲の上のAELTCですが、川廷さんはいとも簡単に連絡を取り「神戸へ来ないか?」と! そんな経緯があり2010年、夢のような交歓親善試合が実現しました。
 オリンピックにも多大な貢献をされ、テニスが競技として復活した際には、参加にあまり積極的ではなかった超一流プレーヤーたちを説得し出場を促したということです。2012年のロンドンオリンピックではテニス競技委員長が決まっていたのですが、直後に体調を崩され、2013年8月3日、亡くなられました。残念でなりません。語りつくせない功績に、ここで改めて敬意を表したいと思います。

日本人として初めてウィンブルドンの名誉会員となった川廷栄一さん

日本人として初めてウィンブルドンの名誉会員となった川廷栄一さん


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目次 2015年1月号