浮世絵にみる 神戸ゆかりの「平清盛」 第2回

中右 瑛

NHK大河ドラマ「平清盛」がスタートした。
「源平合戦」にみられる源氏、平家の盛衰は誠にドラマチックである。こうした源平合戦絵は江戸時代になって浮世絵にも登場したのだ。清盛が注目されるこの機に、神戸ゆかりの清盛に焦点を当て、福原遷都、経が島伝説、源平合戦などの浮世絵をご紹介しよう。

ご落胤説・清盛出生の秘密「油坊主の故事」

平清盛があれほどまでに天下を号することが出来たのは、実は平忠盛の子ではなく、白河院のご落胤であったのではないかと噂されている。それは「油坊主の故事」から由来している。そこには、清盛出生の秘密が触れられているのである。
その「油坊主の故事」とは、永久(1113~1117)の頃、白河院(第72代白河天皇1053~1119)が、寵愛していた祇園女御のもとに足しげく通っていた時の話。
ある五月雨の夜のこと。東山祇園近くの御堂あたりに、頭に鋭い光を放つ怪しい影がうごめいているのを、白河院が見つけた。雨の夜に限って現れる化け物。不審に思った白河院は、家臣の忠盛にその化け物を退治することを命じた。
ある雨の夜、命を受けた忠盛は御堂の陰に身を潜めて、化け物の出現を待った。しばらくして、暗闇の中で光を放つ怪しい影が近づいて来た。忠盛は一刀のもとに斬り捨ててしまおうかと思ったが、いっそ生け捕ってやろうと考え、走り寄ってむずと組み伏せた。がしかし、捕えたものは化け物ではなかった。よくよく見ると、御堂に燈明を点けるために通う老法師で、頭が光って見えたのは笠の藁が雨に濡れて銀針のようになり、燈明に映えて光っていたからである。
白河院は老法師を化け物と勘違いしたことを詫び、また忠盛の思慮深い武士の振る舞いにいたく感激。その褒美に祇園女御を忠盛にくだされた。白河院のセックスライフは多彩にして複雑。寵愛を受けた女御といえども、家臣に払い下げることもしばしば。
祇園女御は、その時すでに懐妊しており、やがて生まれたのが清盛(1118)だったという。
それ以来、忠盛が重職に就き、日宋貿易を広げて富を増やし、巨万の財力を蓄え平氏の基礎を固め、長子・清盛に受け継がれた。新興武家の名門にのし上がり、武力的な地盤を得て、清盛が破格の出世が出来たのも、清盛・ご落胤だった! と噂されているのである。ご落胤説はさまざまに脚色されて、今に伝わっている。
清盛が十二歳で元服した時、従五位・左兵衛左(すけ)となり、その破格の待遇は祇園女御の強い後押しがあったからだという。
実説では、祇園女御の妹が忠盛の妻。すなわち清盛の母が若死にしたので祇園女御が清盛を育てたという。『中右記(ちゅうゆうき)』(中門前右大臣藤原宗忠の日記)には「忠盛の妻、にわかに死す」とある。しかしながら、清盛の母については不明なことが多い。

掲載の絵「油坊主の故事」は、明治の浮世絵師・小林清親の名作である。光線画家とも呼ばれ、光と影の斬新な手法が組み込まれている。妖怪と疑われた老法師(中央)を木陰で待ちかまえる忠盛(左)。忠盛の武勇伝が知られる歴史絵である。

「油坊主の故事」小林清親

「油坊主の故事」小林清親

中右瑛(なかう・えい)

抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。
1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。


ページのトップへ

目次 2012年2月号