神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第25回

マリンバ奏者
宮本 慶子さん

神戸の音楽界を活気づけている、マリンバ奏者の宮本慶子さん。ソリストとして活躍しながら、積極的に後進の指導にあたり、教え子たちを次々、世に送り出しています。いつも華やかな舞台で輝いている宮本さんですが、楽屋では実に細やかに目配り・気配りをなさり、共演者の皆さんを引き立てておられます。時代の先端を担って来られた女性でありながら、「私がここまで来れたのは、主人のおかげ」と、ご主人をたてることを忘れない、昔気質な一面も。顔の広さと面倒見の良さで、ベテランにも若手にも頼りにされ、多忙な日々を送る宮本さんに、お話をうかがいました。

―音楽との出会いは、何だったのでしょうか?
 私の通っていた川池小学校はモデル校だったこともあって、大きな楽器がたくさんありました。私は毎朝早く登校し、楽器に触るのが大好きな子どもでね。幸い父親が音楽好きで、娘に何かさせたかったんでしょう、私が小学校五年生の時、立奏用木琴を買ってくれたんです。まだピアノのお稽古をしている人が、学年でひとりかふたりくらいの時代ですよ。父はマリンバの名手・平岡養一先生のファンだったもので…それが私の、マリンバ人生の始まりです。

―昨年、活動50周年記念公演を開催されましたが、デビュー当時は小学生だったわけですね。
 木琴を習いだして半年の頃、NHKラジオの生放送番組に出たら、賞をいただいて。たちまち引っ張りダコになって、子役スターのような扱いを受けました。中学生になってからは、MBS子ども音楽コンクールの独奏の部で、2年連続西日本一位に。私の場合、ソリストとしての活動開始がすごく早くて、その後は右肩上がりの時代の最初の波に乗り、ソロ活動も教える機会も、どんどん増えていきました。ちょうど、楽器の改良・奏法の開拓など、マリンバそのものが進化していった時代でもありましたね。

―ソリストというのは、脚光を浴びるお仕事です。結婚後も、教えるだけの立場ではなく、演奏家として活動を続けることには、世間の逆風もあったのでは?
 結婚した時には、すでに演奏活動をしていましたからね。幸い、夫の理解があって、仕事は旧姓を通させてもらいました。いろんな人から、「そんなことしてええんか、あんた強過ぎるわ」と言われましたけど…。でも音楽の仕事をしながら、PTAの役員やボランティアなんかも、人一倍やりましたよ。まあ小さい時から、そういう性格で…動じないというか。女は遠慮しないといかん、という知識はあっても、なんで?と思うのね。よく教え子たちに言うんです、批判されるのは「意識されてる」ってことなんだから、言う側じゃなくて言われる側になる方がいいって。ただし、人間としてきちんとした生き方をしなさい、モラルの無い人間はどこへ行っても通用しませんよ、とも教えています。

―フィールドは、ずっと神戸ですね。
 大学で、東京へ進学するかと悩んだけど、大阪音楽大学が打楽器科を創設すると言うので、そちらに進みました。有名になるために海外へ!というハングリー精神も、あまり無かった…と言うより、すでにマリンバの教え子が大勢いて、20歳代でもう中堅といわれ、そこまで飛び出る必要が無かったのかも。でも今、ずっと地元に居て、地元のために仕事できて、本当によかったと思います。海外や東京でなくても、やることはいっぱいあるんだから、自分の居るところでやればいい。今ではマリンバを、海外から日本へ学びに来る学生も多いんですよ。

―地元の音楽家団体のとりまとめや、神戸ビエンナーレのコンサート開催などのために、奔走しておられます。
 音楽家って、なかなか仲良くなれないんです。仕事は個人単位だし、皆ライバルなわけだし。マリンバは歴史から言っても、ピアノやヴァイオリンと並び称される楽器じゃない、言わば「隙間家具」的な存在。でも隙間家具があると、部屋の空気がぐっと変わるでしょ?主役をメインの楽器の方々に譲りながら、全体を引き立てる。それが、マリンバ奏者の私のお役目なのかも…そう思って、やれることからやっていこうと、いろんな会のお世話をしています。大好きな兵庫・神戸の芸術文化の発展に少しでもお役に立てたら嬉しいですね。

―ご自身のコンサートは、いつも大入り満員ですよね。出演直前まで、裏のお世話もなさっていますが…。
 コンサートの構成は、作曲家の思いを中心に、シンプルを心掛けています。きれいで楽しい舞台にして、感動してもらえるようにと、いろいろ考えて創り上げていくんです。それを支える舞台裏のお世話や、お客様のご案内なども、とても大切なことですからね。もちろん私だって、本番前はすごく緊張してるんですよ。でもお客様に、真っ青な顔はお見せしません!

―音楽家として、そして女性として、夢かなえた人生と言えますか?
 私の若い頃は、音楽をやるなら何もかもを犠牲にして、命懸けでやるのが美徳とされていました。でも私は、そういう生き方はしたくなかった。人間としての営みをして、その中に音楽がある、というのが私の人生。それでも、子どもを持つかどうかはさすがに躊躇して、先輩から「仕事は逃げないから」と背中を押してもらって。逃げた仕事もあるけど、子育てしたことは、後進の指導に役立っているわね。女性は結婚や出産で、動きがとれなくなると思いがちだけど、大事なのは細く長く続けること。私は何もかもやってみて、とてもいい人生だと思えます。頑張ったら、必ずどこかでいいことがありますよ。
(2011年11月16取材)

マリンバだけでなくパーカッションや和太鼓も参加する「マリンバ・打・フェスタ」

マリンバだけでなくパーカッションや和太鼓も参加する「マリンバ・打・フェスタ」

とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。


ページのトップへ

目次 2012年1月号