インタビュー 人生を彩る多くのことごと

紺野美沙子さん
俳優・国連開発計画(UNDP)親善大使

 

ヒロインから母親役に そして次は…

―ヒロインを演じたNHK連続テレビ小説「虹を織る」は宝塚音楽学校が舞台でしたね。今でも思い出すシーンや苦労はありますか。
紺野 山口県萩市出身の女の子が宝塚歌劇に憧れて入団して、退団後はふるさとで後進を育てるというお話でした。約400人の応募があり、当時は宝塚音楽学校の研究科生から選ばれるのではないかと言われていました。私は大学2年生で歌や踊りの素養はなかったのに何故か選んでいただき、舞踊や歌のレッスンを受けることになりました。一番印象に残っているのが、初舞台でのラインダンスのシーンです。研究科1年生の中に入れていただき大劇場で練習しました。萩弁と関西弁も勉強したのですが、どちらも下手で…。
―そして何年後か、NHKの朝ドラ「あすか」ではお母さん役に。感慨はありましたか。
紺野 古巣に母親役で戻れることはうれしかったですね。アッという間でしたから年月が流れたような気はしませんでした。秘かに次はお婆ちゃん役を狙っています(笑)。

 

緊張しっぱなしのUNDP親善大使

―国連の親善大使という大役もこなしておれらますが、どういう経緯で?
紺野 突然、ニューヨークに本部を置くUNDPという機関から事務所に電話があり、ファックスが届きました。
―引き受けるには覚悟がいったでしょうね。
紺野 いえ…、もうちょっとよく考えてからにしたら良かったと反省しています。仕事に支障がない程度の活動で、これから国際協力を担っていく若い人たちにアピールして欲しいとうことでしたので、「私でお役に立てることならば喜んで」とお引き受けしました。具体的にどんな運命が待ち構えているかについてあまり考えていなかったんです。
―実際は大変でしたか。厳しい環境にも慣れてきましたか。
紺野 10回の視察で9つの国と地域を回りましたが、未だに緊張の連続です。それは、仕事上の緊張とは全く違う種類のもの。私は帰国子女でもなく、海外経験もありません。一女優が、国連と日本の旗を背負って外交の場に立つわけです。最初の頃は怖いもの知らずという感じもありましたが、回を重ねるにつれて責任の重さを感じるようになりました。大統領を表敬訪問したり、国連事務総長にお会いしたり…、私にはとても慣れるなんて程遠いです。もっと堂々とできればいいんですけどね。今では、気負っても仕方がない、自分らしくやっていくしかないと開き直りに近い気持ちが生まれてきました。
―学んだことは多いでしょう。
紺野 視野は広がりましたね。この役目をいただかなかったら、中東問題、貧困の問題など国際的な問題に目を向けることはなかったと思います。実際に現地に行きお話を聞くと、「対岸の火事」ではないんだと実感します。

 

楽しくなってきた〝舞台〟というライブ

―映画、舞台、テレビといろいろと活躍されていますが、ご自身が一番お好きなのは?
紺野 最近は映像が恥ずかしくなってきたというのが正直なところです。インターネットの普及で、中には悪意を持った編集もあり、怖いなという気持ちがあります。演じることは好きですから、依頼いただければ続けていくつもりですが、舞台がおもしろいなと思うようになってきました。
―ライブという意味ではその一つ「朗読座」がありますが、始めようと思ったきっかけは?
紺野 人生半世紀を過ぎ、何か地域でやりたいなと思ったんです。私は劇団やプロダクションに所属しているわけではありませんので、「ホーム」といえる所が欲しいなと。ちょうどその頃、私が住む地域にできた大きな商業施設の多目的ホールで、「朗読などやってみませんか」と声をかけていただきました。以心伝心!いい機会だと、去年の秋から始めさせていただきました。
―今までに評判が良かったのは?
紺野 『ベルベットのうさぎ(邦題 ビロードのうさぎ)』というとても素敵な絵本があります。影絵と歌のコラボで上演しましたが、お陰さまで好評いただき、岐阜や富山、東京ではサントリーホールでも上演させていただきました。今月は再演する予定です。
―企画、構成、出演等々、エネルギーがいりますね。そのわりには儲からないのでは?
紺野 人生で今が一番忙しいかもしれません。もちろん全然、儲かりませんよ(笑)。1年続けてきて、文化的活動は儲かるどころか、大赤字だとよく分かりました。
―でも、続けていかれる?
紺野 続けられなくなったら、やめます。単純明快(笑)。

 

哀しい思い出ばかり?楽しいはず?のクリスマス

―慶應時代はどんな学生でしたか。
紺野 大学1年の時は体育会のフィギアスケート部に入っていましたが、2年生でNHKの仕事を始めて1年間休学しました。その後は仕事が忙しくなり、必修科目に出席して単位を取るだけで必死。合コンなど、学生として楽しいことはあまり経験していないんです。唯一の思い出は、国文学部の修学旅行に皆で行ったこと。万葉人の気持ちになって交通機関を使わず、山の辺の道や飛鳥路を歩くという伝統の旅行でした。
―今月はクリスマス。これには楽しい思い出があるのでは?
紺野 それも哀しい思い出ばかり。忘れもしない20代後半の頃、やはりその年もクリスマスイブの予定はなく、新婚の親友が「ダンナの帰りが遅いから、うちで一緒にお祝いしようよ」と誘ってくれて、2人でご飯を食べていました。そこへ、旦那さんがサプライズケーキを買って帰ってきて、「じゃあ、私、帰るわ…」って。また別の年、やはり予定もなく、仕事帰りに花屋さんの前を歩いていたら、「メリークリスマス」と花を一輪渡してくれて。よっぽど寂しそうにみえたのでしょうね。こんな思い出ばっかりです(笑)。

 

来年は、舞台「日本の面影」

―神戸へは時々、来られるのですか。
紺野 仕事では時々。今年初めに来た時には、人と防災未来センターの河田所長さんとお会いして、巨大津波は必ず来るという「津波災害」という本をいただきました。そうしたら、3月に現実になって、びっくりしました。
―東日本大震災の関連番組でナレーターをされていましたね。
紺野 私の祖母は陸前高田の出身で、叔父が住んでいます。高台に住んでいますので被害はなかったものの、他人ごとではないという思いがあります。ずっと応援している神戸のあしなが育英会やUNDPの関連でいくつかの活動をさせていただいてます。
―さて、多才な紺野さんですが、来年に向けての抱負は?
紺野 7月に東京六本木にある俳優座劇場で上演される「日本の面影」で、ラフカディオ・ハーンの妻役を演じます。以前からやりたかった作品ですので成功させたいと思っています。お相手は草刈正雄さんです。朗読座も無理のない範囲で続けていきたいと思っています。
―今後のご活躍をお祈りしております。ありがとうございました。
インタビュー 本誌・森岡一孝
〈撮影協力 ANAクラウンプラザホテル神戸〉

 

第2回朗読座『ベルベットのうさぎ』より

第2回朗読座『ベルベットのうさぎ』より

 

2010年パキスタン視察の際、2005年の大地震で親を亡くした子どもたちの施設を訪問

2010年パキスタン視察の際、2005年の大地震で親を亡くした子どもたちの施設を訪問

 

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紺野美沙子(こんのみさこ)

俳優・国連開発計画(UNDP)親善大使

 

東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒。1980年、NHK連続テレビ小説「虹を織る」のヒロイン役で人気を博す。「武田信玄」「あすか」、舞台「細雪」など多数のドラマ、舞台に出演。
1998年、国連開発計画親善大使の 任命を受け、カンボジア・パレスチナ・タンザニア・東ティモール他、アジア・ アフリカの各国を視察するなど、国際協力の分野でも活動中。著書に親善大使として訪れた国や人々について綴った『ラララ親善大使』(小学館刊)等。


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目次 2011年12月号