アンリ・シャルパンティエを代表する人気商品のフィナンシェ

未来への視点 始まりは小さな喫茶店 アンリ・シャルパンティエ

株式会社 アッシュ・セー・クレアシオン
代表取締役社長 蟻田 剛毅さん

―今年6月に新社長になられた蟻田社長ですが、お父さまでもある初代の蟻田尚邦代表のご苦労をどんなふうに見てこられましたか。
蟻田 実は父が苦労している様子を見たことがなかったんです。阪神・淡路大震災直後、工場がどうなるか分からないという時だけは落ち込んでいましたが、基本的にいつも楽しそうに仕事していました。私もずっと「ケーキ屋は楽しい商売なんだなあ」と思っていました。ただし、家業を継ぐ気持ちはなかったので、大学卒業後、私は広告代理店に勤めました。
―気持ちが変わられたのは何故?
蟻田 就職したものの、やりたい仕事がなくて怠惰なサラリーマン生活を送っていました。取引先のお客さんに「声がいい」と褒められて、声優の専門学校の願書を取り寄せてみたりして(笑)。
 ある時、たまたま受け持っていたクライアントがコンビニスイーツを始めるにあたり、お手伝いさせていただきました。その仕事がとてもおもしろくて、どんどん積極的に進めていったら、クライアントの方も喜んでくださって、非常に良い結果を残すことができました。ふと、昔から甘いものをよく食べていたことを思い出し、「やっぱり人間、好きなことを商売にしないとあかんなあ」と。サラリーマン4年目の頃でしたので、すぐにというわけにもいかないので、10年たった頃、父に「入れてくれ」と頼みました。
―入社後は、この道一筋ですね。
蟻田 当初はアルバイトで店舗や工場を回りました。好きなものを扱って、24時間そのことだけを考えて、しかもお金をいただける。やっぱりええなあと思いました。
―社名変更の理由は?
蟻田 ㈱アンリ・シャルパンティエでもいろいろなブランドを扱うようになり、社名とは違うブランドで働いている従業員が、「アンリが一番で、自分たちは2番なんや」と感じることがあるようだと気づき、社名を変えました。
―そこで敢えて「クレアシオン」と付けたのは何故ですか。
蟻田 残念ながら生前の父に意図を聞けなかったのですが、私はいい社名だと思っています。お菓子を通して世の中を驚かせたり、楽しませたり、提案する会社ですから、「クレアシオン(創造)」は切っても切れないものです。社員にとってもいいことですし、当社のミッションを明らかにする上でも役に立っていると思っています。
―発酵バターや生クリームなどオリジナル原料を開発した経緯は?
蟻田 父が10年程前、改めてフランス菓子を勉強してアンリ・シャルパンティエのレベルアップを図ろうとしたとき、フランスで食べて「美味しい」と思うお菓子と、日本のお菓子の微妙な味の違いは基本的にバターが違うと気づきました。
 当時はまだ日本に発酵バターなど無かったころで、では、より美味しいお菓子を提供するために自分たちで作ろうということになりました。共感してくださるメーカーさんがありましたので、北海道の牛乳を使ってオリジナルバターを作りました。生クリームは、乳脂肪分47%のものを使っていたのですが、今年春から使っているアッシュ・フレッシュは42%まで下げています。
 最近はあっさりしたものをお好みの方が多く、時代の流れをキャッチしようというもの。いずれにしても根本にあるのは、自分たちが納得いくものを作るなら、材料もオリジナルのものを使用したいということです。
―パリにも研究所を開設しましたね。
蟻田 本場フランスで「こんなお菓子があるんだ!」と驚いたのだと思います。ヨーロッパのものだからこそで、日本人には思いつかないことだったのでしょう。
 それならば、ヨーロッパの人にお菓子を作ってもらって日本で売ることができたら、自分と同じように皆も驚いてくれるのではないかと父は思ったようです。そこで、パリにラボを造り、シェフが働く場所を提供し、そこで開発した商品をパリコレクションとして日本で紹介するというのが設立の意図です。
―その成果は上がりましたか。今でも店頭に並んでいますか。
蟻田 パリコレクションは好評をいただきましたし、本物を提供して世の中の人たちに驚いてもらおうというアンリの企業姿勢を示す上で意味があったと思っています。
 しかし、1年程前に休止しました。フランスはじめヨーロッパ各国から有名店が直接日本に入ってくる時代になり、もっとアンリオリジナルを追求していくべきではないかというのが今の考えです。フランスとももっと発展的な関わり方はできないものかと模索中です。
―銀座本店オープンは何故?
蟻田 父がフランスで見たホテルのロビーのデザインがすばらしくて、そのデザイナーさんに腕をふるってもらったのが銀座本店です。
 ヨーロッパの雰囲気を表しているものです。一料理人としての提案を世間に問いかけた芦屋本店とは全く違い、この2つをどうリンクさせるかが、今の私たちにとっての課題でもあります。
―関東圏の売り上げは伸びたのでしょうね。
蟻田 あるアンケートによれば「洋菓子といえば?」で思い浮かべていただける数は約2倍に、デパ地下でも「アンリ・シャルパンティエが選択肢に入っている」という答えが約4倍になりました。銀座本店はじめ、関東で展開してきたことには意味があったと思います。
―お菓子を創る5つの想いというのは?
蟻田 製造部出身だった宮崎忠男元社長が、製造部員に持っていて欲しいという想いを込めたものです。「固定観念にとらわれず、いつも新しいお菓子づくりに挑戦」「現状に満足しないこと。基本に完成はないのです」「大切な人に贈るつもりで、気持ちをこめてお菓子を創ろう」「お客さまにとっては、このひとつのケーキがすべて」「スタジオを磨き、道具を磨き、腕を磨き、心を磨こう」。私も大好きな言葉です。
―新社長として、来年以降の未来への展望は?
蟻田 世の中に素晴らしいものを提供して喜んでいただき、それによって商売をするという父の思いが正しかったお陰で、アンリ・シャルパンティエの40年がありました。父は亡くなり、前社長・松村さんも退任され、社員やお取引先にも不安があると思います。
 そこで今一度、経営理念の原点に戻ろうとしています。3年間かけて自分たちを見つめ直し、より発展していくための「新たな創業」にするつもりです。新規出店は極力抑え、新たな研修プログラムをスタートさせ、事業部制を採用して各ブランドをどのように発展させていくかを自分たちで考えようとしています。周りから見ればちょっと地味かも知れませんが、地盤を固める3年間にしたいと思っています。
―それは大切なことですね。
蟻田 ここ数年、基本をないがしろにしてきたところがあったと反省しています。「パッケージは立派だけど中身は?」「アンリさんに思い入れはあるけれど、最近は何をやっているの?」などという声をお客さまからいただきます。
 お菓子屋ですから、例えば「フィナンシェ買うならアンリで」というように、「あの商品は、ここで買わなくては!」と言っていただける商品を、一ブランドに一つは持たなくてはいけないと思います。
―若くて社長になられたのですが、お仕事は順調ですか。
蟻田 好きなお菓子の仕事ができることに関しては、とても楽しんでいます。後から入社したことに関して不安はありました。
 しかし父が亡くなる間際に幹部社員と私を交えて、今後のアンリについて中・長期計画を立ててくれました。皆が「自分たちのアンリのために」と団結して実行してくれています。今のところ助けてもらいながらスムーズにいっていますし、お陰さまで業績も上向いてきています。
―これからも若い指導力で美味しいものを送り出してください。ありがとうございました。

株式会社アッシュ・セー・クレアシオン本社(西宮市)

株式会社アッシュ・セー・クレアシオン本社(西宮市)

本社1階に併設されるアンリ・シャルパンティエ酒蔵通り店にて

本社1階に併設されるアンリ・シャルパンティエ酒蔵通り店にて

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蟻田 剛毅(ありた ごうき)

株式会社 アッシュ・セー・クレアシオン 代表取締役社長
1974生まれ。兵庫県出身。1998年関西学院大学卒業、㈱電通入社、2004年早稲田大学大学院修了、2007年㈱アンリ・シャルパンティエ(現社名㈱アッシュ・セー・クレアシオン)入社、2010年 ㈱アッシュ・セー・クレアシオン取締役副社長、2011年㈱アッシュ・セー・クレアシオン代表取締役社長。


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目次 2011年12月号