神戸旧居留地ものがたり Vol.4

50年後を見据えた建築を目指して

 

株式会社瀬戸本淳建築研究室
代表取締役
瀬戸本 淳さん

 

―神戸っ子の自慢でもある、居留地の横の名建築「神戸郵船ビル」に建築研究室を移転した理由はあるのでしょうか。
瀬戸本 北野町にあった事務所が18年で手狭になったのがそもそものきっかけです。ずっと山側にいたので海の方に来たいと思っていました。15年になります。ここは「神戸アーキテクチュアフェア」で来たことがありました。耐震補強がなされて震災にも堪えました。それに私が以前に在籍していた安井建築設計事務所の創業者である安井武雄が、戦後このビルの改修設計を行ったという縁も感じていたのです。
―郵船ビルの魅力とはなんですか。
瀬戸本 大正7年竣工のこの建物も、大空襲でチャーミングなドームと屋根が破壊されました。外壁には戦争時の銃弾の跡が残っています。居留地の突き当たりに位置するので、部屋からメリケン波止場や居留地の美しい建物を毎日眺めていられるのは嬉しいですね。
―生まれも育ちも神戸とのことですが、それが具体的に建築やデザインに生かされていることはありますか。
瀬戸本 出身校である摩耶小学校や神戸高校はとてもクラシカルな建築でした。お屋敷に住んでいる友人などもいました。神戸は日本文化、ペルシャ・大陸文化と西洋文化などがミックスされた街です。ミックス文化の壮大な世界の中で仕事ができていることは、本当にありがたいことだと思っています。
―たくさんのスタッフがいる中で、どのようにチェックし、手直しや指示を出されているのでしょうか。
瀬戸本 すべての企画図、実施設計図に目を通しています。現場にも足を運んでいます。建築は予算もかかりますし、責任が重い仕事ですから、手を抜くわけにはいきません。最近は技術の進歩により、立体的な完成予想図の段階でかなり細かい部分まで表現できますから、チェックは昔より楽になったと思います。
―建築研究室で活躍している優秀なスタッフに、共通している能力やセンスなどがあれば教えて下さい。
瀬戸本 ひとつの建築を創るにはみんなの力が必要です。設計以外にも役所打ち合わせや近隣への説明、技術的な考察、予算に合わせていく作業や現場監理などがあります。役割分担してチームでやっていかなければなりません。今のスタッフは芸術的センスもあり、良くがんばっています。
―様々な依頼がある中で、瀬戸本建築研究室の特徴や強みはありますか。
瀬戸本 それぞれの建物には、人々の夢や希望、情熱が込められています。建物は人の心で造られているのです。私たちが常に心がけていることは、付加価値をつけてさらに喜んでいただく提案をすることです。そのためには覚悟が必要です。いつも妥協しないで成果を出すことが強みと言っていいと思っています。
―瀬戸本さんから見た居留地の建築物の魅力、街並に感じる神戸らしさとはどういう部分でしょうか。
瀬戸本 世界には美しい街がいっぱいありますが、その中でも10本の指に入る美しい街だと思っています。多くのミックス文化の集積でみんなの夢が詰まって、活気があります。私にとっては海と山がある世界一の街ですね。
―瀬戸本建築研究室の未来への抱負を教えて下さい。
瀬戸本 時代はどんどん変わりますし、ライフスタイルも変化しています。先日、子供たちが描く「夢の住まい」というコンクールの審査員をしたのですが、その絵の中には、災害にも負けない強い家とか、エコロジーで美しい地球をテーマにした作品がたくさんあったのです。これにはびっくりさせられました。
 今の日本は使い捨ての文化から、いつまでも持続できる社会に大展開しています。私たちも、今取りかかっている設計が50年後も通用するのかということを、常に考えていなければいけません。50年後に対する、技術やひらめき、洞察力など様々なことが求められています。「自然も人間もみんながつながり、みんなが光る。」子供たちが言っている幸せ論を、我々は見据えていかなければならないのです。

 

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瀬戸本 淳(せともと じゅん)

建築家
株式会社瀬戸本淳建築研究室 代表取締役
1947年神戸生まれ。一級建築士・APECアーキテクト。神戸大学建築学科卒業後、1977年に瀬戸本淳建築研究室を開設。以来住まいを中心に、世良美術館、月光園鴻朧館など様々な建築を手がけている。神戸市建築文化賞、兵庫県さわやか街づくり賞、神戸市文化活動功労賞、姫路市都市景観賞などを受賞。


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目次 2011年12月号