神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第24回

剪画・文
とみさわかよの

版画家
川西 祐三郎さん

ポートタワーのそびえるメリケンパーク、神戸大橋と行きかう船、六甲の稜線の抱かれたまちなみ…神戸っ子に、もっとも馴染みある景色を切り取った、カラフルな版画。その作者の川西祐三郎さんは、版画家・川西英を父に持ち、自らも同じ道を歩んだ、神戸を代表する版画家です。神戸生まれの神戸育ちで、会社員時代は「夜中しか制作時間が無かった」という祐三郎さん。言葉の端々に、父・川西英への敬意をにじませながら、語ってくださいました。

―いつ頃から版画制作を始められたのでしょう?

 始めての作品は、8歳の時のものです。父が仕事を始めると、机を隣りへ持って行って、同じようにして…。父の真似をするのが、とにかく楽しくてねえ。ほとんどの版画家は、油彩画から始めるのですが、私は父の許で始めたので、版画の表現から出発しました。早くから、ものの捉え方が版画になってしまっていたので、図画の先生から、「君の絵は、濃淡がはっきりし過ぎていて、中間の淡い色が無い」と叱られたものです。子どもの頃は、何でも父のする通りにしたくて、作品ナンバーを入れ、作品台帳まで付けていました。8歳から作品の記録がある作家なんて、私くらいじゃないでしょうか。

―川西英を父に持ち、「二代目」としてのご苦労もおありだったのでは。

 ずっと「お父さんの絵とそっくり」と言われ続けて、違う人が創ったら絵の個性も違うのに…と、若い頃は悩みました。家の中で父の影響のみを受けて、絵の具も父と同じものを使っていたんですから、似ていると言われても無理ないんですがね。ヨーロッパシリーズで、見える通りではなく、画面をいったんバラバラにして、好きなように組み立てる手法で描いたところ、似ていると言われなくなりました。私にとって、思い出に残るシリーズです。二代目の私は、認められるのが遅かったですが、父は大したものです。たいていの作家は地方から出て、東京へ行って初めて認められるのに、川西英は神戸から一歩も出ず、東京で評価されているのですから。

―親子二代で、戦前から現在までの神戸のまちを、つぶさに描かれています。

 私は、父の影響で神戸百景に取り組んだ時期も、また神戸を描くことを避けていた時期もありました。でも、山も海もある、こんなすばらしいまちを、作品にしないわけにはいかない。まちは年々変わっていきますから、私が描くと、父の描いた風景とは、また違う風景になります。父は、戦前・戦後の百景を、私は焼け野原からの復興やポートアイランドや空港などを描きましたから、ちょうどうまく時代が揃いました。

―ところで、子どもの頃から電車が大好きとうかがいました。お勤めされたのも、阪神電鉄でしたね。

小学生の頃は、休み時間になると校門へ走って行って、市電が通るのを見ていたんですよ。もう電車が好きで好きで、就職するのは電鉄会社と決めていたんです。阪神(阪神電気鉄道株式会社)に33年間勤めあげましたが、見習い期間が一番楽しかったなあ。当番の朝、車庫から電車を出して、パンタグラフを上げたり降ろしたり、ドアを開けたり閉めたりして、点検するのが嬉しくてねえ。それなのに、阪神マート(現阪神百貨店)配属になってしまって…まあ、仕方ありませんが、残念でした。

―会社勤めをしながらの画業は、やはり大変でしたか?

 制作に充てられる時間は、限られていましたので、遠方の取材もほとんど日帰りでした。自分の時間を削って制作していても、どうしても会社では「彼はもうひとつ仕事を持っている、職務に専念していない」という目で見られ、つらい時代もありました。近鉄百貨店で個展をしたら、役員室から呼び出しが来まして、「ライバル店で展覧会をするとは何事か!」と叱られましてね。別に会社の絵の具を使ってるわけでもないのに…とは思いましたが、次からはやめることにしました。するとまた呼び出されて、今度は「うちの画廊でやれ」と。それこそ公私混同になってしまうとお断りしたら、「会社のトップがやれと言っているんだ」と…以来、自社で展覧会をさせていただきました。普通なら、あり得ない。ものごとは徹底的にやれば認められる、とことんやってしまえばいいんだ、と思いましたね。

―お父上の真似が楽しかった子どもの頃、自分の絵を模索して苦しんだ時期、そして自分の画風を確立した現在。ご自身も版画家として名を成した今、夢かなえた人生と言えますか?

普通は、絵を描いて疲れたから一休み、と思うでしょう。ところが父は、絵を描くことそのものがリラックスだったんですね。私はなかなか、その心境になれませんでした。ヨーロッパシリーズで、自分の流儀をつかんで、ようやくその心境になれましたかねえ。今は制作が、楽しくてなりません。やはり作家が楽しいと思って描いた絵は、見る人も楽しいと思います。制作数は千二百点を超えましたが、まだまだ頑張るつもりでいます。版木を彫っても腱鞘炎にはなりませんよ、8歳からやってるんですから。体がそう出来てしまったんでしょう、版画の制作に使う部分に故障は出ません。体力ある限り、この仕事を続けていきたいですね。
(2011年10月28日取材)

ヨーロッパシリーズ 「中世の街角」

ヨーロッパシリーズ
「中世の街角」

神戸空港

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とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。


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目次 2011年12月号