触媒のうた 23

―宮崎修二朗翁の話をもとに―

出石アカル
題字 ・ 六車明峰

 

宮崎翁がおつき合いなさったのは、詩人、作家などの文人だけではなく、音楽家、政治家、実業家、大学教授、民俗学者、書家など多岐にわたる。そして当然美術家もおられる。
「ぼくね、東京から関西方面にやって来られる人のご案内をよくしました。いや、新聞社を通しての要請じゃないんです。ぼく個人に言って来られるんです。筑摩書房編集局長の土井一正さんなど神戸のご出身だったので東京のジャーナリズムの方々にも懇意にして頂いてました」
そういえば最近わたしが東京の古書店から入手した『兵庫の民話』(未来社)という翁の初版本は、偶然土井一正氏への献呈本だった。翁若き日の筆跡で土井氏へのデディケートがあり不思議な縁を感じたものだ。
「そんな中に、中川一政さんがおられました」
またスゴイ名前が出てくる。中川一政といえば、梅原龍三郎、林武らと並ぶ日本洋画壇の巨匠だ。
中川一政―1893年~1991年。東京生まれ。文化勲章受章者。富田砕花翁と大の親友。
絵で有名だが、書もまたいい。神奈川県真鶴町の中川一政美術館には書も展示されているという。
「たしか、この時は但馬の香住海岸にご案内いたしました。山陰海岸は船上からの眺めが素晴らしいんです。船に酔われましたが、『どうですか?香住海岸はきれいでしょ?』とお尋ねしました。するとね、『いや、たしかにきれいだけれど、きれいな所は絵になりませんね』とおっしゃいました。その晩ですが、神戸に帰って来ていつもぼくがお客さまをご案内する“ハナワグリル”にお連れしました」
当時の“ハナワグリル”といえば神戸で客人をお連れして恥ずかしくないレストランとして有名で、富田砕花翁が贔屓にしておられたと。砕師は大正から昭和にかけてよく当時の満州国(いま中国の東北地区)に旅行され、定宿にしておられたホテルのコックさんが後に神戸で開かれたのが“ハナワグリル”。というわけで砕師とは昔馴染みだったのだ。それで宮崎翁もここをご贔屓になさっていたと。
「ここのご主人が文人好きでね。有名人をお連れすると必ず揮毫をおねだりされるんです。で、この時も色紙を持って来られました。中川さん、絵は勿論高価ですが、実は書も高値を呼んでたんですね。そんなことご主人はご存知なかったのでしょう。軽い気持ちだったんですね。ところが中川さん、色紙を手にはされたが、じっと黙りこんでなかなか書かれない。で、ご主人、『宮崎さん、頼んで下さいよ』ということで、ぼくからもお願いしました。しばらく考えておられましたが、やがて筆をお取りになって、書かれたのが“馬鹿”という二字でした。ぼくあわてました。てっきり気分を害されたと思いました。『先生、申しわけありませんっ!』と謝りました。すると中川さん、ニヤリとされて、その色紙に字を書き足されたんです。馬に続けて「も四ツ足」、そして鹿に続けて「も四ツ足」と。「馬も四ツ足 鹿も四ツ足」。題を「鵯越」と書かれ、一政と署名されました。気を悪くされたのではなく、何を書こうか考えておられたんですね。いや、頭のいい人でした」
この話、わたしもう一つピンときませんでした。単に、神戸だからちょっとしゃれただけかと思っていました。ところが念のために調べてみると「鵯越」という小学唱歌が明治にあったんですね。三番まであるが、その一番。

 

鹿も四つ足、馬も四つ足、
鹿の越えゆくこの坂路、
馬の越せない道理はないと、
大將義經眞先に。

 

これですね。これを中川画伯は咄嗟に使われた。
画伯はしゃれもわかる詩歌人でもあったのだ。しかもレベルが高い。
「他にも多くの客人をこのハナワグリルにはお連れしましたが、いつもご主人が色紙や短冊を所望されました。たくさん溜っていたと思います。あのダンカンレイボクはどうなりましたかねえ」
翁、またまた難しい言葉を使われる。翁にとっては常識なのだろうが、わたしは知らない。しかしわたし、その場は知ったふりして、後で調べました。
「断簡零墨」と書くらしい。
例の、翁からのプレゼントの『日本国語大辞典』をひも解く。

 

断簡―切れ切れになった書きもの。“或る女(有島武郎)半成の画が美しいやうに断簡には云ひ知れぬ情緒が”と例文が引かれている。
零墨―かきもののきれはし。“古人の筆跡などで断片的に残っているもの”断簡零墨。

 

単なる書かれたものの切れっぱしということではなく、断片にも筆者尊重の念を篭める深い思い入れを感じます。

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出石アカル(いずし・あかる)

一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。


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目次 2013年1月号