神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第67回

剪画・文
とみさわかよの

能楽師
佐伯 紀久子(さえき きくこ)さん

 

室町時代から男性が演じてきた能楽。2004年、国の重要無形文化財総合指定保持者に、初めて女性22人が選ばれました。そのうちのひとりが、神戸在住の佐伯紀久子さんです。父は観世流シテ方で、やはり重要無形文化財総合指定保持者の故・佐伯栄造氏ですが、同じ道に進んだのは「受験時代の出来心」だそうです。きりりと男袴に身を固めた佐伯さんに、お話をうかがいました。

―古典芸能はお家芸というイメージが強いですが、今は大学で学ぶのでしょうか。

 私は東京芸術大学の邦楽科で、「能楽観世流シテ方」を専攻しました。大学では能のセリフである謡曲と、型である仕舞のレッスンを受けます。当時の邦楽科は観世流シテ方の他に室生流シテ方、能楽囃子や筝曲、長唄などが専攻でき、一学年20名の定員でした。今では狂言や雅楽も、科目としてあります。実技が中心ですが、学問の授業もあり、副科では能楽囃子(能管、小鼓、大鼓、太鼓)やピアノのレッスンもありましたよ。でも能楽の世界は楽屋に入って、舞台の表も裏も師の下で実地体験で身に付けていくものです。

―ご自身が芸大へ進まれたのは、跡を取る決意で…ではなかったのですか?

 いえいえ、全然。高校時代、進学コースではなかったので受験戦争にも加わらず、同級生が次々就職先を決めていく中、のんきにしておりました。そんな時、受験させたかった母が探してきたのが東京芸大。能楽は父の職業でもあるし、名立たる先生が教授として名を連ねておられるので、勧めたのでしょう。私の方は合格したら東京に行ける、芸大なら落ちても恥ずかしくないなどと、不純な動機で受験しました。受験には実技の他に洋楽の知識も必要なので、楽典は必死に勉強しましたね。幸いに合格でき、良い先生方に恵まれ有意義な学生時代でした。

―女性能楽師の道を切り拓かれたわけですが、それも意図したわけではなく?

 道を切り拓いたなんて、そんな大それたものではありません。私の場合、開けてくるのがこの道ばかりだったというだけです。親が能楽師なので、ずいぶん甘えさせて貰いました。男性社会と言うことも、女性同士の軋轢も、自身のスランプも、それはどんな道に進んでも同じなのではないでしょうか。母がよく言っていた「一升枡には一升しか入らない、無理をしないこと。でもやるからには諦めないこと」が、私のモットー。とりあえず目の前のことを一生懸命にやる、それが切り拓くことにつながっているなら光栄なことです。

―能楽を趣味としてたしなむ方もおられます。

 もともと能楽師は大名のお抱えで禄を得ていたので、能は武士のものでした。明治以降は財閥といった上流階級に支えられてきました。近年では会社の上役が能をたしなむと、社員が謡を習い、取引先の上役と謡で交流し、商談成立…といった具合に、「ゴルフと謡」が社交の場でした。でも今はそれが「ゴルフとカラオケ」になってしまいました。

―生活や趣味の変化によって、日本の伝統文化が遠ざかってしまうのは残念ですね。

 古典芸能をたしなむ人口の減少は言うまでも無く、能楽堂の維持保存も難しくなってきています。普及のため多目的に使用するのも一案ですが、提供する側がものすごく神経を使わねばならず、大変です。一般のステージのように柱に釘を打つとか、舞台上を素足やハイヒールで歩くとか、そういった行為が能舞台に致命傷を与えてしまうと知らない方が多いんですね。能は歩みを大切にする芸能で、磨きぬかれた板の上を白足袋で歩みます。舞台は檜の厚い三間(6メートル)の通し板を敷き詰めていますが、こんな巨木を手に入れるのも難しくなってきています。皆様にそんなことも含めて能楽を知ってもらい、ぜひ一度能楽堂へ足を運んでいただきたいものです。

―能楽の普及のためにも、力を入れたいことは?

 機会があれば、ワークショップなども行いたいですね。七百年続いてきた能楽のすばらしさに触れ、愛好者になっていただきたい。私自身は、女性の演じる能の魅力を追い求めていきたいです。
           (2015年5月29日取材)

 

舞台に立ち、教え、会を催し…精力的な佐伯さんですが、意外に力まず、自然体で事を為す方でした。

とみさわ かよの

神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞、平成25年度半どんの会及川記念芸術文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。


ページのトップへ

目次 2015年7月号