
がんと生きる、わたしの物語。 第1回
第1回 リリー・オンコロジー・オン・キャンバス
絵画・写真コンテスト
兵庫県立美術館館長 蓑 豊
アメリカに本社を置く世界的な製薬会社、イーライリリー社が企画するがん患者のアートコンテストが初めて日本で開催され、審査員として参加しました。作品の質も高く、病気と戦いながら、苦しさの中にも生きることの喜びを感じられる作品が多くあり感動しました。
グランプリを取られた戸倉基氏の作品“前立腺がん治療闘病中の自画像”はトリフローと真剣に向かい合っている姿が審査員全員に強烈な印象を与えました。
森幸子氏の“緑の森-Green forest”はシンプルですが前に進む姿勢が強く感じられました。
松山徹氏の“光の層Ⅱ”は版画技術にもとても優れ素晴らしい出来上がりで、希望の光を発していました。
鈴木明子氏の“わたしのターニングポイント~今日もがんと共に生きる誰かと自分自身の“一歩”になったら~”は写真作品です。友達の美容師に髪をカットされ、闘病中でも常に女性としての美しさを求めている明るい表情が忘れられません。
岩村歩夢氏の“ただ、それだけで”も写真作品で、作者の母親が病を乗り越え、再び好きなバレエができる喜びを捉えた作品です。
最後に江島恵氏の“今を生きる”は父親の闘病中に孫と過ごす時間の喜びを感じられる非常に美しい写真でした。

絵画部門特別賞
森 幸子(もり ゆきこ)氏
「緑の森― Green forest」

絵画部門特別賞
松山 徹(まつやま とおる)氏
「光の層Ⅱ」

写真部門特別賞
岩村 歩夢(いわむら あゆむ)氏
「ただ、それだけで」

写真部門特別賞
江島 恵(えしま めぐみ)氏
「今を生きる」
絵画部門グランプリ
戸倉 基(とくら もとい)氏
「前立腺がん治療闘病中の自画像」
この絵は平成19年5月に前立腺がん摘出手術に当たって、トリフローを医者の指示でやっているところである。何でも肺を拡張させ、肺炎や無気肺等の肺合併症を予防するためとの説明であった。
私は、がん治療は初めてではない。昭和62年に大腸がん、平成6年肺腺がん、平成10年には肺がん再発で9時間の手術をしている。がんの他にも心筋梗塞でステント挿入手術や脳梗塞で入院治療を体験している。従って、入院慣れはしている。見舞い客から「手術だそうだが、頑張って」と言われると、初めのうちは「どうもありがとう」と素直に言えたが、そのうちに、頑張るのは私ではなく、お医者さんの方なのだと心の中で思うようになっていた。
ただ、今回の前立腺がんの治療はちょっと違った。前立腺がんの手術は井戸の中のイモ掘りをするようなもので、大変難しいらしく、その上種々の病歴のある患者を手術するのである。医者が頑張ってくれることは信じるとして、医者の指示するトリフローだけは何が何でも頑張らねばならないと思った。ベッドのサイドテーブルにトリフローを置き、必死で吸い口を吸っても初めのうちは一球だけが少し浮くだけであった。ただ熱心に続けているうちに三球とも30秒間上にもちあげて保持することができた。嬉しかったので妻に携帯で撮影してもらった。その写真をもとに絵を描くことにした。
テーブルには私の趣味の将棋の雑誌と前立腺がんのことが書いてある雑誌、それに医師の診断書が写っていたので、これもそのまま描くことにした。それから、私の知人がもしこの絵を見る機会があったなら、100%そこに描かれている人物は私であると認識できるような絵に仕上げたいと思った。
私は素人だが、いままでの入院中はいつも絵を描いた。脳梗塞で手がやっと動きだしたときにもすぐに絵を描いた…。
写真部門グランプリ
鈴木 明子(すずき あきこ)氏
「わたしのターニングポイント
~今日もがんと共に生きる誰かと
自分自身の“一歩”になったら~」
わたしの「ターニングポイント」は、30年という人生最大の危機=脱毛という副作用を前に頭を丸めた、この写真の瞬間である。今となっては「たかが脱毛」。
でも、1年前の30歳女盛り、人生これから!のわたしには、人生最大のピンチに思えた。「脱毛」「脱毛」「脱毛」…他にも起こりうる副作用を説明する医師の言葉は、わたしの耳を右から左へ通過し、その4文字だけが、重く心にのしかかる。わたし、本当にがんになっちゃったんだ。初めて実感が湧く。ブラウンの長い巻き髪は、わたしのアイデンティティーのひとつだった。看護師に何度も尋ねる。「いつから抜けるの?」「どうやって抜けていくの?」「ウィッグはいつ準備すれば?」「どんな心境になるの?」…不安の数だけ疑問が口を出る。でも、同時に、不安をこんなに素直に言葉に出来たのは、自分史上初めてなことにも気付く。困った時は、助けて欲しいって言ってもいいんだ!
“女優になったと思えばいい”そう提案してくれたのは母だった。確かハリウッドのなんとかっていう女優さんも尼さん役で頭を丸めてたし。ほう、なるほど。消灯後の病室から、閉店時間を見計らって、美容師の親友に「ちょっと化粧品のCMの子みたいにしてくれない?」って、病名も告げられないまま、自分から電話をかける。数日後、いつものように明るい笑顔で「おーっす!」と、病室に現れた彼女。病名も事情も聞かず、まるで当たり前のように、よくあることのように切ってくれる。彼女は最近一児の母になった。その報告に涙が出る。「わたしは子供は産めないかも知れないから、子育て疑似体験させてねー!」と、がんと共に生きるわたしの口から自然と言葉が出る。がんになり、以前よりずっと命の尊さとその重さを知ったから、新しい命の誕生が嬉しい。また、命の終わりをただ悲しいだけのことだとは思わない。
私達はきっと今日を生き抜ける。だから、難しいことなんて何もないよね?