阪神尼崎駅で停車中の近鉄線乗り入れ列車 写真提供:阪神電気鉄道

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interview

 

阪神電気鉄道株式会社
代表取締役・社長 藤原 崇起さん

 

速くて便利な阪神電車 きめ細かいサービスが高じて

 

―入社から35年以上となる藤原社長ですが、当時の思い出は。また、当時と比べて変わったと思うところは?
藤原 入社当初、鉄道部門に配属された私は、以後、駅員、車掌、運転士見習などの業務を経験しました。昭和50年当時は自動改札機がさほど普及していないころで、改札での切符切りも経験しました。三宮駅では通勤時間帯にお客さまの定期券を確認する作業で目が回り、倒れそうになるのを改札の枠につかまって我慢したことを覚えています。
 また、入社した年の5月、阪神電車は路面電車の最後の運行を終えました。名残を惜しむ子どもたち、おじいちゃん、おばあちゃん方から花束をいただいているのを見て、うれしく感じました。
 時は移り、2009年の阪神なんば線開通時には、一番電車の運転台に乗っていましたが、午前5時頃でまだ暗いのに、淀川の堤防上にある踏切で手を振ってくれる女性がいて、これもうれしかった(笑)。
入社した頃、阪神電鉄の有名な施設といえば、阪神甲子園球場と六甲山〈人工〉スキー場ぐらいしかありませんでした。今はハービスOSAKA、ハービスENT、大阪四季劇場、ビルボードライブ、ザ・リッツ・カールトン大阪…、昔に比べたら随分とオシャレな感じになったなあと思っています。

 

―電車が好きで阪神電鉄に入社されたのですか。
藤原 特にそういうわけでもありません。親が公務員でしたので私も何か公共的な仕事に就きたいと思い、阪神電鉄の入社試験を受けたところ、面接で家族的で温かい雰囲気に触れ、「ここなら私でも働けそうだな」と。言い換えると、みんなで一緒になって、ワーワー言いながらやっていこうという雰囲気です。こぢんまりした会社ですから、今でも「和」をもって安全を追求しようとする雰囲気を持っていると思います。

 

―「待たずに乗れる阪神電車」というキャッチフレーズが印象的でした。多くの駅に停車しながら細かい工夫の積み重ねによりスピードアップを図ってきたのは、阪神の歴史的DNAによるものですか。
藤原 明治38年、当時の国鉄(官設線)が約1時間で結んでいた大阪神戸間に、初めて阪神電車が走りました。小さな集落の間をぬうように約90分かけて結んでいましたが、その5年後には63分で走るようになり、当時の国鉄さんをずいぶん驚かせたようです。
 駅に次々電車がきて、「待たずに乗れる」というお客さまの利便性を考えるDNAは今でも残っていると思いますね。
 今では、待避駅を多く作り、普通車には高加速・高減速のジェットカーを使っています。これによって普通車を待避駅まで短時間で走らせ、後続の特急列車が速く走る邪魔にならないダイヤを組んで利便性向上を図っています。

 

―阪神甲子園球場での野球開催時には臨時列車を走らせるなど、きめ細かいダイヤとなっていますね。
藤原 ところが、お客さまの多い駅や時間帯に合わせて停めるなど、あまりにきめ細かくしすぎて、一般のお客さまには分かりにくくなってしまいました。そこで「沿線のお客さまに対して本当のサービスとは?」ということを考え、阪神なんば線開業時に列車種別や停車駅を整理し、分かりやすいダイヤに改編をしました。
 阪神電車は神戸の中心地辺りで地下にもぐってしまいます。車体を見ていただく機会があまりありませんから、選んでいただくためには「阪神は速くて便利だ」というお客さまの口コミを大切にしなくてはいけません。

 

画期的な相互乗り入れ 神戸高速鉄道

 

―技術の阪神といわれます。ジェットカー以外にも、石屋川車庫の高架化や冷房化100%など日本初・大手民鉄初となる取組みも多いのですが、安全に対してはどういった技術を駆使されていますか。
藤原 昭和43年の神戸高速鉄道開業当時、直通運転を行うわけですから何か問題が起きれば大変な事故につながりかねないという意識を、阪急、山陽、阪神ともに持っていました。そこで、各社共通のATSを導入したのですが、電車の速度を定点のみで測定するのではなく、常に測定するという、当時としては画期的な方式としました。これは今でも誇れる技術だと思っています。

 

―神戸高速鉄道を介して相互に乗り入れるという発想は、当時としては画期的でしたね。
藤原 事業の構想は戦前からずっとあったようですが、事業推進のきっかけになったのは、神戸市の戦災復興計画でした。当初は神戸市を中心に、阪急、阪神、山陽、神鉄などが出資して設立・開業しましたが、現在は阪急阪神ホールディングスの子会社になっています。

 

―神戸高速鉄道が子会社になって良かったことは?
藤原 従来は4社が協議して運営していましたが、阪急電鉄と阪神電鉄が中心となって全体をコントロールする体制になりましたので、よりご利用いただきやすい鉄道に変えていこうと計画しています。神戸高速線の運転指令については阪神に集約したことにより、今まで以上にスムーズな運転が可能になりましたし、駅の案内表示についても、統一感のある、お客さまに分かりやすいものに順次更新を進めています。
 ただ、運賃システムをはじめ、非常に複雑なものをそのまま引き継いでいますので、変えていくにはまだまだ時間がかかると思っています。

 

―確かに、神戸高速線は運賃が少し高いように感じますが?
藤原 ご利用の会社ごとに初乗り運賃が加算される仕組みになっているためなのですが、IT社会ですから、運賃設定にも非常に多くのシステムが絡んでいます。その上、全てがネットワークでつながっていますので、極端な話、神戸高速線の運賃を改定すれば、近鉄奈良駅の機器のソフトまで変えなくてはなりません。難しい問題がいろいろあります。

 

―なるほど。

 

順調な「阪神なんば線」三宮駅も新しく

 

―そして2009年、「阪神なんば線」が開業しましたが、状況は?
藤原 はい、お陰さまで順調に推移しています。昨年は「平城遷都1300年祭」が開催されたこともあって、私たちもびっくりするほど順調な滑り出しでした。阪神なんば線の開業により、西は姫路から、阪急利用で京都まで、阪神・近鉄利用で奈良までという大きなネットワークができ、神戸のお客さまには直接奈良へ、奈良のお客さまには、海と山があるエキゾチックックな憧れの町・神戸へ乗り換えなしに行っていただけるようになりました。当然、阪神甲子園球場へも奈良からたくさんのお客さまに来ていただいています。

 

―三宮駅の改装工事も着々と進んでいますが、完成後はどんな駅になるのですか。
藤原 まず、現在一番南側にある奈良への折返線が上り線と下り線の間に移動します。今は西方面から梅田行きの電車に乗ってきて、奈良行きに乗り換えるには階段を上り下りしなくてはなりませんが、完成すれば、降車してすぐ乗り換えられるようになります。そしてもうひとつは、ミント神戸の南側に新しく東口ができること。これによって、様々なことが誘発され、三宮の東地域での新しい街づくりのきっかけになるのではないかと思っています。そういうこともあり、兵庫県、神戸市のご協力もいただき工事を進めています。

 

―ではフラワーロードより東側はビジネス街としても発展が期待できますね。
藤原 三宮より東では、東部新都心に最寄りの春日野道駅も改良し、ホームの広い明るい駅に生まれ変わりました。また、岩屋駅には「兵庫県立美術館前」という表記も加わり、各地からの県立美術館目当てのお客さまでにぎわっています。

 

―高架化もあちこちで進めていますが、最終的には踏切なしを目指しているのですか。スピードアップも図られるのでしょうか。
藤原 スピードよりも、まずは安全です。阪神電車は明治時代に集落の間をぬって走り、今でも国道2号と国道43号の間を走っていますので、交通の妨げにならないようにしなくてはなりません。運転保安の観点からすると、踏切がなくなれば、踏切事故もなくなります。地域の皆さんの安全が守られますし、乗務員は随分と運転をしやすくなります。また、防災の観点からも高架化は重要です。

 

―阪神電車は阪神・淡路大震災で大きな被害を受けましたね。
藤原 電車は3ヵ月間止まってしまいました。石屋川車庫の高架がかなり損傷し、50両以上の車両が被害を受けました。ところが昭和8年に造られた地下の三宮駅は、びくともしませんでした。大したものです。

 

―当時、藤原社長は?
藤原 鉄道部門から人事部門に異動したところでしたが、電車が止まっている間、当社はバスで代行運転をしていましたので、私はお客さまをバスに案内する仕事を一生懸命やっていました。鉄道部門の人間は皆、復旧に向けて昼夜を問わず邁進していました。当時は、神戸の町全体が昼も夜もなく頑張っていましたね。

 

劇団四季に学びたい 力を合わせて造り上げる姿勢

 

―藤原社長は劇団四季がお好きだとか。
藤原 大阪四季劇場の開場を機に足を運ぶようになりました。初めて観たのは「マンマミーア」でしたが、主役だけでなく、若い役者さんまで皆が力を合わせていることが見えてくるんです。ハーモニーも、迫力も、踊りの力も…、全てがこんなに凄いものなのか!と驚きました。こんな世界があるのか、人の心に訴えるというのはこういうことかと思い、それから何度も観るきっかけになりました。ときには東京や名古屋まで出向くこともありますし、一つの作品を何度も観ることもあります。観れば観るほどまた新しいものが見えてきます。
 皆で舞台を造り上げようという気迫。私たちも見習うべきことがたくさんあるように思います。

 

―東日本大震災直後は、劇団四季さんも「今、こんなことをやっていていいのだろうか?」と悩んだそうです。しかし「皆に希望と元気を!」と舞台の再開を決定したそうです。
藤原 自分たちにできる応援は何かというと、やはり関西を元気にしていくことだと思います。高校野球や阪神タイガースなども、皆さんの心の支えになると考えています。これからもいろいろな情報を発信して、私たちも応援していると伝えることが大切だと思います。

 

―最後に、大阪と神戸を結ぶ阪神電車ですが、今、神戸向けのキャンペーンなどは実施していますか。
藤原 阪急、阪神、神鉄、山陽の鉄道4社合同で「神戸再発見!」キャンペーンを実施しています。私自身、明石の出身なので神戸には人一倍愛着もあります。神戸は歩いて本当に楽しい町です。元町商店街から栄町、新開地、兵庫、長田と散策してみると、また違った神戸が見えてきます。しかも疲れたらすぐに電車に乗って移動できる(笑)。そういうシステムは整っているのですから、もっとPRしていかなくてはいけないと思っています。

 

―ありがとうございました。今後の発展に期待しています。

 

インタビュー 本誌・森岡一孝

 

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藤原 崇起(ふじわら たかおき)

阪神電気鉄道株式会社 代表取締役・社長
兵庫県出身。1975年、大阪府立大学経済学部卒業後、阪神電気鉄道株式会社に入社。2009年、神戸高速鉄道株式会社代表取締役・社長に就任。2011年4月より阪神電気鉄道株式会社代表取締役・社長。

 

路面電車のさよなら運転(1975年)写真提供:阪神電気鉄道

路面電車のさよなら運転(1975年)写真提供:阪神電気鉄道

 

高加速・高減速を可能にした「高性能普通車」ジェットカー 写真提供:阪神電気鉄道

高加速・高減速を可能にした「高性能普通車」ジェットカー 写真提供:阪神電気鉄道

 

多くのファンが訪れる阪神甲子園球場 写真提供:阪神甲子園球場

多くのファンが訪れる阪神甲子園球場 写真提供:阪神甲子園球場

 

電車乗り放題と観光クーポンつきのお得な「スルッとKANSAI 神戸街めぐり1dayクーポン」

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阪神岩屋駅の駅名看板は「岩屋駅(兵庫県立美術館前)」に

阪神岩屋駅の駅名看板は「岩屋駅(兵庫県立美術館前)」に

 

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