[海船港(ウミ フネ ミナト)] 自然・生活環境の破壊が進むグリーンランド探訪③

文・写真 上川庄二郎

【ほんとにグリーンランドは、『緑の島』に?】

この“海 船 港”シリーズの2009年1~5月号で北極点クルーズを取り上げたが、そのときお世話になった太田昌秀先生(ノルウェー極地研究所で長くプロフェッサーを勤められた日本人地質学者)の言葉をお借りしよう。
「(前略)北極圏の汚染はますます進んで高濃度のPCBが見つかり、オゾン・ホールもできました。温暖化は、北半球の気候に大きな影響を与え、永久凍土が溶けて、そこから逃げ出すメタンガスが温暖化を一層加速し、グリーンランドの氷もどんどん溶けています。このまま温暖化が続くと、グリーンランドは550万年位前の氷河期以前のように、その名のとおり『緑の大地』になってしまうかもしれません(後略)」
このことを実感させられたのが、氷河の後退が進むヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドの奥部の状況である。(写真上)
ヘリコプターで現地に降り立った時、眼前に拡がる砂漠のような光景、しかもさらに奥まで拡がりつつある荒涼殺伐とした現場を目の当たりにして、大変な衝撃を受けたものである。
ここに、1850年頃のものと思われるヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドの写真(右下)と、その100数十年の間にアイス・フィヨルドが後退した位置を示す地図(左上)をご紹介しよう。この写真と地図は、イルリサット空港でヘリ待ちをしていた時に、ロビーで目に入ったヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドの航空写真などである。この右下の写真と左上の地図を比べてみると、右下の写真は、1850年頃に撮ったものらしい。左上の地図を見る限り、1960年代以降、とりわけ2000年以降の後退の速度が加速していることが読み取れる。
こんな現象は、グリーンランドに限らない。南極・北極はもとより、ヒマラヤやアルプスの氷河も後退が著しく、2035年までに1955年時の1/5まで縮小するといわれている。
少しデータが古いが、次ページ右上の1992年と10年後の氷床の変化を示す図を見ると、ヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドで起きている現象は、その一端を示しているに過ぎないことが良く分かる。
グリーンランドの氷床が、いっぺんに溶けたとすると、地球の海面が7m上昇し、世界の沿岸主要都市はほとんど水没する。南極だと、70mというからこれは脅威である。ここ数十年の間に一気にこんなことが起きるとは考えられないものの、ここ何年かの間に1%ぐらい溶ける話は大いにあり得る。とすると70㎝、これでも神戸港は使用不可能になる。ただ事の話ではない。
ごく最近の新聞報道でも、グリーンランドの氷河からマンハッタン島の4倍もある巨大氷山が分離して大西洋に流出する可能性があると報じている。第二のタイッタニック号沈没事故が起きないとも言い切れない。
それよりももっと恐ろしいことが起こりつつある。それは、グリーンランドや北極海の氷が溶け北極海の海水の塩分濃度が薄くなることによって引き起こされる現象である。
塩分濃度が薄くなると海水が軽くなってしまうので、冷たい海水がグリーンランド海の深部に沈まなくなってしまう。このことは、2000年の年月を経て、北極海の冷たい水と太平洋の暖かい水の熱交換の役割を果たしていたアトランティック・コンベア(左上図参照)と呼ばれる自然の海洋循環システムに影響が出ることを意味する。
結果として、緯度の高い北欧やヨーロッパの国々の気温を支えてきたメキシコ暖流が機能しなくなり沿岸諸国の気温に大変な影響を及ぼすことになる。「2000年なんてあっという間にやってくる。われわれの時代だけよければ、と言う考えは間違いだ」と太田昌秀先生は指摘される。

【地球温暖化も怖いが…】

それ以上に、もっともっと重大なことが起こり始めている。旧ソ連時代に北極海に沈んだ原子力潜水艦や、北極海に捨てられたロシアの原子力廃棄物から漏れ出した放射性物質(ロシアにいわせれば、100年は大丈夫といっているそうだが、こんな期間では明日と同じだ)が、このアトランティック・コンベアに乗って世界の海に拡がったら世界中の魚が食べられなくなる。いや、それよりも世界の海が放射能で汚染されてしまうというとんでもない怖いことが起きるではないか、こんなことを考えるだけでも背筋が寒くなる。

【第二次世界大戦後のグリーンランド】

1940年に、ドイツ軍がデンマークを占領した。一方、アメリカは1941年、空軍基地をグリーンランド中西部のセレン・ストレーム・フィヨルド/カンゲルルススアク、北西部にピツフィック/チューレ、最南部のナルサスアックに建設した。大戦終了後は、旧ソ連との冷戦に対応して、更に増強された。そして4個の水素爆弾を積み込んだ爆撃機がチューレ空軍基地の近くで墜落するという事故が起こった。この撤去作業に従事させられたたくさんのグリーンランダーは、被爆し亡くなっていったという。今なお、ヨーロッパの人権裁判所で争われているものの、まだすべてが解決したという話はない。痛ましい事故である。
こんな一見平和なところに見えるグリーンランドが、アメリカにとって対ソ連を考える時、最重要な戦略拠点だったのである。
しかも、長年に亘るアメリカの進駐は、グリーンランドに一気にアメリカナイズをもたらし、文化や生活を一変させることになってしまう。

【イヌイットになった日本人の記録から】

グリーンランドに移住し、イヌイット人の女性と結婚して永住している日本人の探検家・大場育雄さんは、次のように述べている。
「世界最北の村にもいろんな人がやってくる。動物の生態調査や環境汚染の調査にやってくる人もいる。聞くところによると、いわゆる文明国の大気汚染は、気流の関係で極地へ集まってくる。白熊やアザラシの体内から相当量のPCBやDDTなどの合成化学物質が検出されるという。かと思えは、上空のオゾン層に穴があき、紫外線が強くなって皮膚病にかかりやすくなるともいう。
こちらのイヌイット人には身体の中に水俣病と同程度の有機水銀が含蓄されている人もいる。その有機水銀がどうして体内に入るかといえば、やはりアザラシやセイウチといった海獣を人間が食べるという食物連鎖なのだ」と。

【人間は、もっと謙虚に生きなければならない】

最後に、二人の先生の言葉を引用させていただいて今回の締めとさせていただく。
まず野依良治先生(ノーベル物理学賞受賞者)は、「宇宙の歴史は137億年、地球の歴史は46億年、生物の起源は36億年。
それに比し、人類(ホモサピエンス)が地球上に姿を現してからたったの10万年。その新参者の人類が、自然とは何か、自分とそれを取り巻く環境を客観的に正しく知り、謙虚に生きる心を持たねばならない」と。
太田昌秀先生は、「人間はしばしば“自然を保護しましょう”と言います。自然は人間が保護できるような相手ではありません。人間が存在しようがしまいが、自然は自分の法則にしたがって存在し続けます。人間は、もっと謙虚な気持ちになって、私たちが自然を保護したりするのではなく、私たちこそが、自然という大きな存在の中で生かしてもらっているのだという意識に変わることが、環境問題の基本だと思います」と。

※この文章は、2006年グリーンランドを訪れたときの記録をもとに、3月11日の東日本大震災より前に書いたものであることをお断りしておきます。

ヘリコプターで降り立ったポイント(写真下)から内陸の氷帽(Icecap)を望んだところ。手前の砂漠のようなところが、最近2年間(2005-6年)で5km以上後退したところだという。さらに奥に向け進みつつある。

ヘリコプターで降り立ったポイント(写真下)から内陸の氷帽(Icecap)を望んだところ。手前の砂漠のようなところが、最近2年間(2005-6年)で5km以上後退したところだという。さらに奥に向け進みつつある。

次ページ地図左の青色→のポイントに降り立ったところ。

次ページ地図左の青色→のポイントに降り立ったところ。

1985年頃のヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドの地図(赤枠は、左図の範囲を示す。赤丸は、デーヴィス海峡への流出口。

1985年頃のヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドの地図(赤枠は、左図の範囲を示す。赤丸は、デーヴィス海峡への流出口。

ヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドの全景。左端白丸で囲んだ部分が、デーヴィス海峡への流出口(氷山群がひしめくところ)。

ヤコブスハーヴン・アイス・フィヨルドの全景。左端白丸で囲んだ部分が、デーヴィス海峡への流出口(氷山群がひしめくところ)。

1850年頃から2003年までの氷河の後退を時系列で示す地図。前ページの写真で、更に後退が進んでいることを確認できる。

1850年頃から2003年までの氷河の後退を時系列で示す地図。前ページの写真で、更に後退が進んでいることを確認できる。

その後、太田先生からお送りいただいた新しい地図。これを見れば、前ページの写真の実感がそのとおりであることが良く分かる。

その後、太田先生からお送りいただいた新しい地図。これを見れば、前ページの写真の実感がそのとおりであることが良く分かる。

茶色部分は、夏の終わり(9月)に、氷床の表面が溶けるエリア。1992年から10年間でこんなに拡がった。今は?

茶色部分は、夏の終わり(9月)に、氷床の表面が溶けるエリア。1992年から10年間でこんなに拡がった。今は?

悠久2000年の世界の海洋循環(アトランティック・コンベア)が危ない

悠久2000年の世界の海洋循環(アトランティック・コンベア)が危ない

かみかわ しょうじろう

1935年生まれ。
神戸大学卒。神戸市に入り、消防局長を最後に定年退職。その後、関西学院大学、大阪産業大学非常勤講師を経て、現在、フリーライター。


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目次 2011年6月号