連載 浮世絵ミステリー・パロディ ㉚ 吾輩ハ写楽デアル

中右 瑛

六代目豊国老が語る「浪速の写楽伝」

シンポジウム四人の開陳は終わった。梅原説も紹介された。
次は、ゲストの登場だ。現代の浮世絵師・六代目歌川豊国老と、画家の須田刻太先生である。
豊国老はおん年83歳の高齢だ。元気いっぱいで、早くから会場に駆け付けたのである。最前列の豊国老は指名によりおもむろにマイクの前に立った。
「私は歌川家の末裔で、父は明治期、横浜に住み開化絵を得意とした歌川国鶴でございます。国鶴は四代豊国の弟子で五代を継ぎ、私は昭和になって六代を襲名いたしました。
我が家に、初代豊国のライバルだった写楽について、代々、伝承として伝わったことをご披露申し上げます。写楽は、数奇な運命にもてあそばれた浪速出身の欄間の彫師・庄六という男でございます」
ナントナント! 写楽が浪速の庄六とは? 会場はざわめき始めたのである。豊国老はいたって真面目な顔で、人を驚かす。
豊国老は歌川家に伝わる「写楽伝説」を語り続けたのである。歌川家の伝承を要約すると次のようになる。
摂津佃村に住む26歳の庄六は無類の女道楽者で、不義の恋に堕ち、大阪から江戸佃島に駆け落ち。奇しくも実母と再会、その亭主が営んでいた日本橋の履物商「東国屋」を継ぐことになった。
生来の絵好きから浮世絵師を志し、歌川豊国に入門を乞うたが、庄六の足の指が六本だったことから断られ、その後、十辺舎一九の紹介で蔦屋と親しくなり、写楽というペンネームで役者絵を出版したのだ。ペンネーム「東洲斎写楽」は「東国屋庄六」をもじったものという。
豪華な雲母摺りの役者絵を出版できたのは、大商人としての財力があったから。すなわち、自費出版だった。ところが販売にあたって富籤を景品につけたことから法に触れ、処罰され、出版不可となった。
加えて中風に見舞われ、床に臥す。失意のドン底の写楽は二年ののち、自宅の物干し場から墜落して死んだ。享年42歳。写楽はついに自殺して果てた…という。
「六本指の男」の登場はショウゲキ的でミステリアス。ドラマチックでもある。あまりの唐突な話に、皆、唖然として聞き入ったのである。
豊国老の話は大変面白く迫力がある。しかし口伝だけに矛盾も多く、何の物証もない。微に入り細に入った実に詳しいドラマチックな写楽の生涯とエピソードの数々。フィクションなら大いに結構。
「これが我が家に伝わる〈写楽伝説〉でございます。私は子どものころから口づてに、祖父や叔父、父から聞き及んでおりました。祖父の友人だった坪内逍遥先生も、三田村鳶魚先生も、この話は知っているハズです。が、明治・大正時代は、写楽が誰であろうがドーデモよかったのでございます。ところが近頃、写楽が重要人物となり、様々な別人説が飛び交い始めました。しかしながら〈豊国が写楽?〉ナンテとんでもないことです。これだけははっきりと言えます、〈豊国が写楽?〉ナンテ決してあり得ません」
声を張り上げて、豊国老は〈豊国が写楽?〉説を否定したのである。
豊国老は近々、この話を本にまとめて出版するという。

テレビのインタビューにこたえる豊国老(右)

テレビのインタビューにこたえる豊国老(右)

中右瑛(なかう・えい)

抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。
1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。


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目次 2011年6月号