草葉達也の神戸物語

ゲスト: 賀川 浩さん
(スポーツライター )

私はこの五月で四十八歳になりましたが、本当に人の名前が出て来なかったり忘れ物をしたりと、これはヤバイということが増えてきました。今回お会いした賀川浩さんは、八十六歳にして、日本最高齢の現役スポーツライター。年齢のことをお聞きしただけで「私は大正十三年十二月二十九日、一九二四年生まれ。パリオリンピックの年ですわ。満八十六ですから、四捨五入すれば九十です」と、いくら自分のことと言え、数字がすらすらと出てくるのには本当に驚かされます。ある意味、私の大先輩でもある賀川さんに神戸のことをお伺いして来ました。

「賀川さんはお生まれも神戸ですか?」「そうです。熊内橋通りです」「ど真ん中ですね。ではずっと神戸ですか?」「戦争に行って復員しましたが、戦争で家が焼けたものですから、賀川家のもともとの出である京都に少し住みました」「戦前の神戸にどんな思い出がありますか?」「熊内は住宅地でね、今は無いですが電車道があって、当時は神戸の阪急の終点は上筒井でした。王子動物園のところには関学もありましたし」「じゃ、王子周辺は賑やかでしたでしょう」「そうですね、賑やかでしたよ。その後阪急が三宮に駅を作って、学生なんかも、向こうの方に行くようになりましたね」「あの辺りで言うと、布引の滝なんかも賑やかな時代ですよね」「日曜日になったらハイキングコースなので、人がいっぱいでしたね。私もよく犬を連れて遊びに行きましたよ。布引から上がって行くと川から貯水池があって、その奧が外人さんが名付けたトゥエンティークロスで、それを上がって行くと摩耶山・六甲山に続くわけですよ。摩耶山のケーブルは外人さんが多かったから、犬連れて乗ってもいいんですよ」「へえ〜 初耳です」「今の神戸電鉄、昔の神有も犬連れて乗っても良かったんですよ。私もシェパードを連れて乗りました。それを外国人が見て、うちの親父と話をするのが神戸の風景」「いい時代ですね。トゥエンティークロスもそうですが、外国人の方が残されたものが神戸は多いですね」
「そうそう、神戸のスポーツもね、ハイキングもそうですしバレーボールもマニラのYMCAから神戸に伝わったものですし、サッカーも明治四年にKRACという外国人倶楽部が試合をしたという記録も残ってますし、フィギュアスケートは六甲山の山の上にたくさんの溜め池があって、その池が凍るから、そこからはじまりました」「フィギュアスケートも神戸からですか」「そうです、日本では神戸発祥です。うちの親父なんかはハイカラぶって、当時スケート靴なんか売ってなかったもんですから、友人の神戸製鋼かどこかに頼んでブレードを作ってもらったりしてました」「すごいですね〜 まぁ日本でのスポーツ発祥の地が神戸に多いことは有名ですが、東遊園地の辺りがグランドで外人さんが何かスポーツをしていた様子を、実際に御覧になったことはおありですか?」「試合で行きましたよ。もうボクらの時は外国人からスポーツを習うという時代は済んでいますから。ボクらは時々、そのKRACから試合に呼んでもらって、外人さんが子供相手に試合をしてくれてね。こっちが勝つと紅茶だけで、負けるとケーキが出たりね」「ハハハ・・・」「あそこでね、スポーツのクラブライフというものを知って、戦後に神戸フットボールクラブを作ろう考えたことにつながっていますね」
記憶力の素晴らしさもさることながら、情景が目に浮かぶほどお話がお上手で、ここには書ききれない素敵な話をたくさんしていただきました。神戸、そして日本のスポーツ史の語り部として、これからも頑張っていただきたいです。

ジャーナリストとしてサッカーの興隆に尽力したことが讃えられ、 日本サッカー殿堂に

ジャーナリストとしてサッカーの興隆に尽力したことが讃えられ、
日本サッカー殿堂に

20110607901

賀川 浩(かがわ ひろし)

サッカー選手として全国大会優勝、東西対抗出場、天皇杯準優勝などの経験をもつ。元サンケイスポーツ編集局 日本サッカー殿堂入り
賀川サッカーライブラリー
http://library.footballjapan.jp/

くさば たつや

神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員
日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員
大阪大学文学部研究科


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目次 2011年6月号