兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第六回

東日本大震災への医療支援について

川島 まず、被災地のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。今回の東日本大震災は地震のみならず津波、さらに原発事故による放射能汚染という複合型の災害ですので、われわれの時より被害が大きくなるだろうと予想し、また、阪神・淡路大震災の時には東北の人たちに大変お世話になりその恩返しの意味もあり、すぐにでも現地へ行けるように用意しました。
 私が神戸市医師会の会長を務めていたときに、阪神・淡路大震災のような都市を直撃する地震があると大変な被害となるので、その対策として14大都市の医師会が相互協定を結び、災害時の助け合いのスキームを作ったのです。それに準じて、医師・看護師・薬剤師・事務職員で結成する医療援助のチームを準備しておりましたが日本医師会からの医療支援チーム(JMAT)派遣要請があり、これに応じることにいたしました。
 もちろん、医師会として災害地に派遣する以上、会員の保障体制も重要です。二次災害の恐れもありますし、道中で原発が爆発したら被曝する可能性もあります。ですから災害救助法による保障が適用されるように行政と交渉し、兵庫県災害対策本部よりの県医師会への医療チーム派遣要請を受け、県行政と強く連携しながら動くことができました。
 兵庫県も今回の災害援助では関西広域連合の中心的役割を果たし、宮城県の支援を担当することになりました。それで、3月17日に知事以下県の関係者が4台のバスで被災地に向けて出発したのですが、そこに兵庫県医師会の先遣隊7名や看護協会の看護師7名も同乗し、現地の状況把握のため現地入りしてもらいました。その情報をもとに、21日から第一陣を派遣しました。

―川島先生もこの第一陣で現地へ向かったそうですね。

川島 本来、有事の際には組織のトップは後ろに控えるべきなのでしょうが、今回は会員をどのような危険な目に遭わせるかわからないし、現地で速やかに決裁しなければいけないことも多々あると思い、現地へ赴きました。

―現地ではどのような活動をおこないましたか。

川島 震災から1週間以上が経過しており、地域での医療ニーズは、慢性疾患、例えば高血圧や糖尿、緑内障などへの対応が強く求められておりました。しかも被災地の方は着の身着のまま、何も持たず避難していますし、今回は津波で薬も全部流されている状況です。
 例えば、単に高血圧といっても降圧剤を服用すればいいという訳でなく、その根本の原因に応じた治療が必要になってくるのです。それ故かかりつけ医が長年かけてその人に最適な薬を処方するわけですが、震災でかかりつけの医療機関や医師を突然失いこれまでの診察が受けられず、大切な医療の継続性が失われてしまったのです。
 しかも、われわれが拠点とした避難所に避難していた方の約8割は家が流され思い出の品も失い、中には家族まで失ってしまった方も多数いらっしゃいました。それゆえ精神的なダメージも大きい訳です。そのようなストレスがあれば慢性疾患も更に悪化します。ですから当然、一日も早くかかりつけ医による医療の継続性を回復し同時にかかりつけ医による心のケアを行わねばなりません。
 被災した地元の医療機関に、いつもの地域医療提供体制の復興に専念していただくために、地元の医師会に代わって私たちが避難所での救護活動を行うのです。兵庫県医師会から応援に来る医師は交代していきますが、医師が変わっても継続的に診療が受けられる体制も必要です。そのためには巡回型の診察ではなく、避難所に救護診療所を設けて継続的に、カルテを作成して診察にあたりました。

─活動の拠点はどこですか。

川島 石巻市を12に分割したエリアの中でもひときわ被害の大きかった第4エリアという地域を担当しています。救護所は最初、石巻中学校だけでしたが、周辺の住吉中学校や山下小学校にも救援の手が届いていない避難者が多数おられたのでそれぞれ救護所を設けました。診察はチームをさらに2つに分けて、一方は終日石巻中、もう一方は午前中が住吉中で午後が山下小というような体制であたっています。もちろん、公民館などの避難所や在宅の方へも巡回診療を行っています。
 最初の2週間は深刻な食料及びガソリン不足で、特にガソリンの入手は大変でした。医療機器や薬品は日本医師会と兵庫県からの2ルートで確保しました。ただ、医薬品の種類は限られていましたので、今回は薬剤師の方々が大変活躍しました。

─現地の医療機関の状況は。

川島 16万都市の石巻市には75の医療機関があり、そのうち28が被災し診療機能を失い、石巻市民病院も完全に機能を停止しました。それゆえ最初は外科医と内科医で総合的な診療をおこないましたが、いろいろな診療科が必要になってきたのです。
 例えば緑内障の方で薬がなくて心配される方が非常に多かったのです。緑内障は悪化すると失明しますので、眼科医を手配しました。また、避難所に妊婦さんがいましたので、婦人科医にもすぐに来てもらいました。
 一般の診療のみならず、順番に眼科、婦人科、耳鼻咽喉科、泌尿器科といった形で、専門科目の先生を派遣チームに組み入れました。現地でも診療日程を日赤を通じ告知してもらい、周辺の避難所からも専門医の診察を受けに来ていただき大変喜ばれました。

─現在(4月末)はどのような体制で活動していますか。

川島 派遣するドクターは4~5名で、各専門科目医も含んでいます。そして看護師が兵庫県看護協会から3名、薬剤師が薬剤師協会から2名、事務局が3名の計十数名のチームを結成し、3日交代で救護所での医療支援をおこなっています。兵庫県の医師会と看護協会、薬剤師会が強固な連携体制のもとでチームを形成し支援体制が継続できたことは画期的なことです。被災地の医療機関がまだ十分復旧していないので、地元医師会の意向も伺いながら、今のところ6月中旬まで活動する予定です。
 津波が及ばなかった内陸部の診療所が徐々に復旧していますので、今後はそちらの方に順次患者さんを誘導していきます。われわれが救護所を設けて支援するということは避難所のみなさんのためだけでなく、現地の被災した医師が一日でも早く診療所を元の姿に戻し、かかりつけ医としての機能を回復させて地域住民への医療提供体制を安定させるためでもあるのです。
 もし被災した医師が救護活動までしていたら地域の医院を復旧する余裕がなく、地域医療体制の復興が遅れるのですよ。

─今回の震災で浮かび上がった課題はありますか。

川島 身心にハンディを負われた方や高齢者の方など、社会的弱者といわれる方々の安否確認がいちばん遅れ救援の手が届きにくくなる事態は阪神・淡路大震災の時と同様でした。斉田さんという片脚の男性は、家で津波に遭いそれまで支えてくれた奥さんを目の前で流され、家ごと2日間漂流し、義足も杖も全くない状態で自衛隊に救助され石巻中学校に運ばれたそうです。
 私が訪ねたとき、彼はすべてを失いまったく希望がない状態で、ほとんど口もきいてくれませんでした。2日目にようやく話をするようになり、その時に「義足を作ってほしい」と申し出がありました。しかし、被災地ではそう簡単にいきません。そこで、彼の意思を確認した上で神戸に来ていただき、兵庫県立リハビリテーション中央病院に受け入れていただきました。
 それから斉田さんはめきめき元気になり、「いつか石巻に戻ってお好み焼き店を開いて、みんなに食べてもらいたい」と、新しい義肢を着け、前向きに訓練に励んでおられます。きっと、新しい義肢にも慣れ、お好み焼きも上手になって帰ってくれるでしょう。でも、もしわれわれが避難所で彼を見つけなかったら、彼はずっと避難所のベッドの上でうずくまったままだったかもしれません。
 平素から行政がどこにどのような社会的弱者といわれる方々や、在宅医療や介護を受けておられる方々が生活されているかを把握しておかないと、災害時に十分な対応ができず後回しになってしまうのです。斉田さんは幸い助かりましたが、今回の震災で多くの身心にハンディを背負った方々も犠牲になっているでしょう。
 一方、東北は過疎化が進み、医療崩壊が進みつつある地域です。もともと医師が少ないのに、今回の震災で被災した医療機関は多く、犠牲となった医師もいらっしゃいます。地域医療体制の整備はわれわれの支援で解決できる問題ではありません。今後東北の医療過疎が一気に進むのではないかと心配しています。

 もうひとつ気になることがあります。神戸市中央市民病院が海辺近くの埋立地で、しかも遺伝子医療を扱う先端医療センターの隣りに移築されました。医師会はこの移転には反対してきました。災害拠点の中心になる病院が、津波をまともに受ける場所に移転してどうするのか。さらには先端医療センター内の遺伝子治療の為のウイルス棟が破壊され、今回の原子力発電所の事故と同様、研究用の細菌やウイルスが拡散するような事態になれば、真っ先に、抵抗力の低下している市民病院の入院患者さんたちに重大な健康被害をもたらす可能性があります。(これをバイオハザードと申します)
 さらには県立こども病院にも、この周辺に移転する計画があるとも聞いています。東海・東南海地震に備え、静岡の浜岡原子力発電所の運転をすべて停止するよう、首相が要請するほど現状はひっ迫しています。石巻日赤病院は、危機管理体制を強化するために、4年前に海岸沿いの場所から、海岸部より遠く離れた場所に、しかも高速道路から直接病院へ進入できるルートまで造って移転新築されておりました。このおかげで、石巻日赤病院が、壊滅状態に陥った石巻市のみならず、その周辺地域の最大の医療拠点となり、住民の方々の命をつないでいます。私たちは、津波に対する対応を、真摯に根本から見直さねばなりません。

石巻中学校に設けられた兵庫県医師会医療救護所

石巻中学校に設けられた兵庫県医師会医療救護所

被災地の墓園敷地に土葬のために掘られた穴

被災地の墓園敷地に土葬のために掘られた穴

避難所のトイレを流す水はコンクリートミキサー車で輸送し校庭の池に

避難所のトイレを流す水はコンクリートミキサー車で輸送し校庭の池に

住吉中学校で診察を行う川島会長

住吉中学校で診察を行う川島会長

義股を作るために、兵庫県立リハビリテーション中央病院を訪れた斉田さん

義股を作るために、兵庫県立リハビリテーション中央病院を訪れた斉田さん

壊滅状態に陥った石巻市のみならずその周辺地域の最大の医療拠点となった石巻日赤病院を後に

壊滅状態に陥った石巻市のみならずその周辺地域の最大の医療拠点となった石巻日赤病院を後に

20110606401

川島 龍一 先生

兵庫県医師会会長


ページのトップへ

目次 2011年6月号