浮世絵にみる神戸ゆかりの源平合戦 第18回 ― 義経登場 ―

中右 瑛

梶原源太の“箙の梅の故事”

一の谷合戦は、西は一の谷、東は生田の森までの広範囲間で行われていた。
一の谷で義経が奇襲攻撃をかけたころ、平家の東の陣、生田の森でも、激しい攻防戦の真っただなかにあった。
ここでは有名な“宇治川の先陣争い”をやった源氏方の武将・梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)が、平家の軍勢に囲まれて苦戦していた。そのさなか、彼は美しく咲き誇った梅の一枝を、矢を入れる箙に挿して奮迅したという。
戦場にあって梅の香を愛でる・・・・・・これこそ武士の風流心であり、よきたしなみであると、梶原は風流武士の異名をとった。その場は、引き返してきた父・梶原平三景時(かげとき)の助太刀で逃れたが、その後、父子は平家の大将・重衡(しげひら)を生け捕って勲功を立てた。

左ページの図は、武者絵が得意の浮世絵師・歌川国芳がそのシーンを力強く、描いている。背景の画面いっぱいに梅の古木を黒太のタッチで表現し、平家勢に囲まれて獅子奮迅の梶原源太を中心に、よーく見ると梶原源太の背の箙には梅一枝が挿され、また左遠方に父・梶原平三が駆け参じるところが描かれている。梅の古木や梶原源太のポーズは、鎌倉武士の気骨をうまく表現している。どこか、歌舞伎の様式美を思わせて、優雅な武将の風格を滲ませて迫力がある。
江戸時代の泰平の人たちは、軍功ものとしてよりは、文学性に富んだ“箙の梅の故事”の武士の風流性、精神性をもてはやした。人形浄瑠璃や歌舞伎狂言にとりあげ、いまに伝えている。

ところが武功をあげた景季父子ではあったが、これには後日談がある。頼朝の強い信頼を得て側近にまでとりたてられたが、頼朝の死後、父の失脚と共に反逆者の汚名をきせられ葬られてしまった。三十八歳という男盛りであったのに・・・。
世の移り変わりか、人のなせる業か、忠臣とまで言われた武士の哀れな最期であった。

 

梶原源太景季 画・歌川芳年

梶原源太景季 画・歌川芳年

梶原源太景季 画・歌川芳年

梶原源太景季 画・歌川芳年

中右瑛(なかう・えい)

抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。


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目次 2013年6月号