連載 浮世絵ミステリー・パロディ ㉘ 吾輩ハ写楽デアル

中右 瑛

フランキー堺さんの小説『写楽道行』

「写楽祭シンポジウム」の四番手に登場したのは、お馴染みの人気俳優・フランキー堺さんだ。フランキーさんの写楽狂いははんぱじゃない。フランキーさんがミステリーな浮世絵師・写楽にはまり込んで、ついには『写楽道行』なる小説を発表。喜劇役者のフランキーさんが「何故、写楽なのか?」と思うご仁も多かろう。

フランキーさんがこの小説を書こうと思い至ったいきさつを述べ始めた。観客はフランキーさんに注目した。
五十数年前のこと、映画監督・川島雄三が、フランキーさんの顔相を見て、
「お前さん、写楽に似てるね」
と、いきなり言われ、戸惑ったという。
川島カントクは、
「次の映画は『写楽』にしよう。お前さんが主役だよ」
フランキーさんは喜んだ。
川島カントクは、フランキーさんを喜劇人として世に送り出した大恩人だったからだ。
ジャズドラマーだったフランキーさんが映画スターに転身し、一躍脚光を浴びたのは、1957年の『幕末太陽伝』での主演。いきなりブルーリボン主演男優賞を受賞し、世間を驚かせた。その時の監督が鬼才といわれた川島雄三で、次回作は謎の浮世絵師を主人公とした『写楽』と決まり、フランキーさんを起用することになった。
写楽の顔相はまったく不明だが、フランキーさんの風貌が、漫画チックで面白い写楽役者絵によく似ていることから、フランキーさんにお呼びがかかったのである。
「私が写楽を演じるなんて夢のようだ」
あの浮世絵界の天才・写楽に似ているとは、光栄にも思えたのだ。
ところがその直後、病弱だった川島カントクは急死。よって映画『写楽』はおじゃんになってしまったのだ。
その後、写楽に興味を示した内田吐夢監督に映画化を依頼したが、これも実現されなかった。逃した大魚(写楽)はあまりに大きく、それだけに落胆も大きい。
がっかりしたフランキーさんは、深く深く写楽に、のめり込んでゆく。
「私は写楽を忘れることはできなかった」
と、フランキーさんは顔を赤らめて語った。写楽への思いを、小説を書くことで果たそうとしたのだ。
フランキーさんは、
「写楽の絵の魅力は、デフォルメの中に人間の哀歓が潜んでいる。喜劇役者の表現と同じで、その魔性に取り憑かれた。ミステリーにはまり込んで、とうとう『写楽道行』(一九八六年刊)を書き始めた。小説では、写楽にのめり込んだ男が、江戸時代にタイムスリップ。ついに自分が写楽に乗りうつり、吉原女郎と心中するはめに追い込まれた…」
と語り、写楽に取り憑かれ、写楽と心中する心情を暴露。
写楽と全盛のおいらんが心中するという、奇想天外な発想の『写楽道行』の話は誠におもしろいが、筋立てを紹介するには、この誌面では残念だが到底足りない。後日、お話し申そう。
最後にフランキーさんは、写楽の夢を実現させ、いつかは映画化したいと、情熱的に語ったのである。

『写楽道行』フランキー堺著 1986年 文藝春秋社刊

『写楽道行』フランキー堺著 1986年 文藝春秋社刊

中右瑛(なかう・えい)

抽象画家。浮世絵・夢二エッセイスト。
1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。


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目次 2011年4月号