
未来を映し出す 新しい学問
兵庫県立大学大学院
「シミュレーション学研究科」新設
「応用情報科学研究科 高信頼情報科学コース」開設
今春、兵庫県立大学では、京速コンピュータ「京」がポートアイランドに設置されるのに合わせて、シミュレーションを学ぶ大学院研究科を開設。また、応用情報科学研究科に高信頼情報科学コースを新設。最先端の学問とは、いかなるものなのでしょうか?
新設シミュレーション学研究
兵庫県立大学教授
大学院シミュレーション学研究科・科長 佐藤哲也さん
―新設のポートアイランドの大学院では隣接する「京」コンピュータを利用することになるのですか。
佐藤 今のところ、修士課程の学生が直接「京」を使う機会はないと思います。しかし、研究科には最先端の研究者たちもたくさん集まってきますから、その雰囲気を身近に感じてモチベーションは上がると思います。
―シミュレーション学研究科を新設した理由とは。
佐藤 日本初のシミュレーション学研究の大学院です。次世代コンピュータが神戸にやって来る。そこで、兵庫県もこの機会を活用したいというのが大前提です。目的としてはまず、世界を先導する教育です。次に、シミュレーションを社会に普及させるのに最も大切なのは産業界ですから、企業との結びつきを持ち、人材を送り込むことで新しい社会の構造を造っていきたいと考えています。また県立大学ですから地域密着、地域貢献も重要です。
―地域密着研究を具体的に言うと?
佐藤 瀬戸内海をテーマに未来共生シミュレーションプロジェクトを考えています。地元の兵庫県ではモデルとして少し狭く、関西圏は複雑で変化が激し過ぎる。その点、瀬戸内海は学生がシミュレーション結果をもとに提言しても受け入れられやすく、検証するには丁度良い規模です。また政策、産業、交通、観光、農業、漁業…など、モデルの宝庫。各分野の先生方がそれぞれのテーマを決めて、学生と一緒に最終的に一つの大きなテーマに向かえます。
―何故、シミュレーション学研究という新しい分野を?
佐藤 先端計算科学研究科ということも考えましたが、その場合、自然科学の最先端を教えることになりますから、修士課程を終えた学生の就職を考えると狭き門になります。また、スパコンの現状を見た場合、複雑な自然現象の解明にはあまり向いていません。
―シミュレーション学は具体的にはどういう場面で役立つのですか。
佐藤 自然科学に社会科学的な要素を加えますから、そこには必ず人間が関わっています。例えば、地震が起きるメカニズムは自然科学の分野です。しかし災害予測や防災など人間が関わる部分をシミュレーションするのがシミュレーション学です。
製造業ならば、売れる製品をたくさん作って売るのではなく、その製品が本当に人間の豊かさや楽しさにつながるものかを検証します。シミュレーション学は今から体系化していく新しい領域で、人間社会の構造や政策などをシミュレーションで提言できる人材を輩出することを目指します。
―卒業後はどういう分野に進むことになるのでしょうか。
佐藤 新しい社会の在り方に対する提言をするシミュレーションの技術、方法論を教えるのですから、ある特定分野のエキスパートを育成するわけではありません。官公庁、金融関係、建築・土木関係、一般企業でも製造、開発、販売、システム開発、経営システムなどあらゆるセクションで、シミュレーションの手法を駆使して科学的な提言ができます。
―どういう学生さんに来てほしいですか。
佐藤 観察力があり、必要に応じてデータを集め、論理的に物事を考えられる人間であればいいと思います。知識はあまり問いませんし、技術はここで教えますから、文系でも構わないんです。
―第一期生はどんな学生さんが集まりましたか。
佐藤 昨年12月に文部科学省の認可を受け、公募を始めたのが今年1月からだったにもかかわらず36名もの応募がありました。最終的に24名の入学が決まりました。多くの若い人たちが、シミュレーション学の考え方、方法論を必要としていることが分かり、私たちも自信がつきました。企業の制度を利用した社会人学生や、ポーランドからの留学生もいます。女性はまだ1名ですが、これから増えてくれるといいと思っています。
―ポートアイランド内での交流や国内外での連携も進んでいるのですか。
佐藤 甲南大学とは医療問題でのデータ協力はあると思います。神戸大学の計算科学とはいろいろ交流することになると思います。海外ではシンガポールのハイパフォーマンスコンピューティング研究所、ポーランドのワルシャワ大学、国内では京大の生存圏研究所、自然科学研究機構の核融合科学研究所などとの提携が決まっています。
―今後はここからの発信も大事ですね。
佐藤 私も神戸出身です。戦災で焼け出され京都に移り、あちこち放浪し、65年ぶりに戻って来ました。ここ神戸から世界に向けて発信していけたらうれしいと思っています。
佐藤哲也(さとう てつお)
神戸市生まれ。1963年京都大学工学部電子工学科卒業、工学博士(京都大学)。東京大学理学部助教授、1980年広島大学教授。1989年核融合科学研究所創設に伴い理論シミュレーション研究センター長。2002年地球シミュレータ誕生に伴いセンター長。2009年兵庫県立大に新研究科設立準備のため移動。核融合科学研究所、総合研究大学院大学名誉教授
応用情報科学はおもしろい
兵庫県立大学大学院応用情報科学研究科長
ヘルスケア情報科学コース教授
稲田 紘さん
―4月からポートアイランドに移転しましたが、新しい展開はありますか。
稲田 今までは政策経営情報科学とヘルスケア情報科学という2コースでしたが、4月から高信頼情報科学コースが新設されました。情報は便利なものですが目に見えません。最近よく使用されるネットワークで窃視、改ざん、なりすましなどの問題も起きます。それらを含めた情報のセキュリティやリスク管理が必要で、それに関する基礎のみならず社会応用面も取り扱います。例えば、病院で起こり得る投薬時などのミスをICタグなどの情報技術を使って防ごうという試みがありますが、これなどは高信頼情報科学領域でもあり、ヘルスケア領域でもあるリスク管理に関する応用の一例です。
―新コースの特徴は?
稲田 新コースの一環として、情報セキュリティ分野で世界的に有名なアメリカのカーネギーメロン大学(CMU)とタッグを組み、2年間で当研究科とCMU、両修士課程の学位を取得できるダブルディグリー・プログラム(DDP)を実施します。これは、4月から12月まで、本研究科の講義以外にCMUからの遠隔講義を受け、翌年1月から12月までは現地へ移動して勉強し、翌々年に本研究科に戻り、修士論文を仕上げるというものです。こうしたプログラムはおそらく日本初だと思います。
―このDDPには4月からの入学生がいるのですか。
稲田 新コースの学生の中の6人(うち4人は外国人)がDDPとして仮入学しています。英語力が重要な入学基準の一つですが、現段階では基準に達していなくても可能性を考慮しています。秋頃に入学に関する最終決定がなされる予定です。
―大学院ではインターンシップにも重きを置いていますが、社会ですぐ役立つ人材を育てようというものですか。
稲田 新コースを含め、社会分野への情報科学技術の応用というのは未成熟ながら重要な学術分野です。そこで、生活環境の質的向上に役立つ実践的な人材育成のための一つの手段として、インターンシップやフィールドワークを取り入れています。
―政策経営科学の視点から、グローバル化が進む中これからの日本企業はどうすればいいとお考えですか。
稲田 グローバル化といっても、何でも外国の真似をすれば良いというものではありません。日本の良さを見直し、問題点を把握して足元を固める必要があると私なりには考えています。たとえば既に超高齢社会に突入した日本の問題点と対策は何かをとらえることが、ヘルスケアの視点のみならず政策経営科学の面からも重要と考えます。
―社会の変化に応じて、教え方も変わってきていますか。
稲田 基本的には変わりませんが、フィールドワークや、修士論文での研究では世の中の動きを考慮しながら指導します。
―社会人の学生さんも多いそうですね。
稲田 看護系などでは、休職や辞職してくる学生が多いようですが、勤めながら通う学生もかなりいます。そこで、当大学院では長期履修制度により、社会人でも勉強しやすい環境を整えています。修士課程なら4年間まで、博士課程なら6年間まで、同じ授業料で履修できます。また先生方のボランティア精神で夜間コースも設定しています。意欲があれば、4年の予定を3年で修了するなどの短縮も可能です。
―今後はどういう学生さんに来てほしいですか。
稲田 日本の進む道は一つしかないわけではありません。ですから、意欲がある人であれば、バラエティーに富んだ人たちに集まって来てほしいと思っています。
―先生ご自身は医学博士でもありますが、今後の医療情報についてはどうお考えですか。
稲田 医療情報は正確、的確に利用することが重要です。その点、電子カルテから得られる情報はアクセスが容易で、利用しやすいものです。日常の診療では患者さんにフィードバックして健康維持に役立てることもできますし、研究にも使うことができます。今後は機関連携による横のつながりを可能にするため、情報の標準化が課題だと思います。
―先生は、自称・宴会部長でもあるそうですね。
稲田 宴会をセッティングするのは結構難しいものです。総務、経理、人事、渉外など総合的な感覚を持っていなくてはできませんが、このセンスは研究にも重要です。最近、そういう学生が少ないようです。私は得意ですよ(笑)。4月からは新しい学生も入学しているので、昔から「同じ釜の飯を食う」というように、まずは隗(かい)よりではなく、「宴会」より始め、新しい目標に向かって心を一つにしていきたいと思っています。
稲田 紘(いなだ ひろし)
工学や情報学の医学・医療応用を目指し、大阪大学工学部および医学部で医用生体工学と医療情報学の研究を開始した。その後、筑波大学社会医学系(助教授)、国立循環器病センター研究所(研究機器管理室長、疫学部長)、東京大学大学院工学系研究科医用精密工学研究室(教授)を経て現在に至るが、一貫して医用生体工学と医療情報学の研究を実施している。