独自の装飾表現で数々の名建築を生み出した村野藤吾が、最初に設計した個人宅でもある

山芦屋に佇む、村野藤吾の名建築 中山悦治邸

 日本を代表する建築家によるお屋敷がいくつか現存する山芦屋。その一角、ワンブロックを占める広大な敷地に建つ中山悦治邸は、日本の建築史に大きな足跡を残した村野藤吾の設計だ。
 村野は日本近代建築の先駆者と評される渡邊節の事務所で研鑽を積み、折衷主義にモダンの要素を取り込んだ独自の装飾表現で数々の名建築を生み出し、建築家としてはじめて文化勲章を受章している。関西にもその作品は多く、大阪そごう、旧ダイビル、大阪新歌舞伎座、宝塚市役所、尼崎市役所などで知られている。
 そんな村野が手がけた最初の個人宅が、中山製鋼所の創業者、中山悦治の邸宅だ。昭和9年(1934)の竣工だが、現在もその見事なデザインは色褪せていない。
 大谷石の塀に囲まれた敷地。重厚なチーク材一枚板の扉の正門を入るとパティオになっており、黄竜山石のアプローチを経て良質のトラバーチンが床や外壁にふんだんに使用された玄関へ。
 さらに中に入ると壮大なホールが迎え、吹き抜けで上下の空間が伸びやかに広がる。内壁は渋い褐色のチークベニヤ、天井は薄青の銀箔モミ紙で、シンプルでありながら格調高い。しかし、フローリングの何気ない意匠や重厚なマントルピース、磨りガラスや壁に施された魚のドローイングなど、どこか遊び心があり、洗練された装飾にセンスを感じる。
 洋風のホールに隣接して和の空間が広がる、芦屋らしい和洋館のスタイル。和洋が融合した近代建築草創期の名作と言えるだろう。
 阪神・淡路大震災でびくともしなかった堅牢さもまた特筆すべき点。今なお古さを感じさせず、豪邸が立ち並んだ山芦屋のモダニズム時代を今に伝える名建築だ。

 

※現在も個人宅として活用されているため非公開。今回、特別に取材させていただいた。

 

天井には銀箔を用いた梨地のような設えに

天井には銀箔を用いた梨地のような設えに

 

邸宅の象徴でもあるマントルピース。意匠には村野の 遊び心が見てとれる

邸宅の象徴でもあるマントルピース。意匠には村野の遊び心が見てとれる

 

磨りガラスには、魚のドローイングが施されている

磨りガラスには、魚のドローイングが施されている

 

2階のフローリングの意匠は規則正しくデザインされている

2階のフローリングの意匠は規則正しくデザインされている

 

山芦屋に佇む中山悦治邸は、昭和9年(1934)の竣工

山芦屋に佇む中山悦治邸は、昭和9年(1934)の竣工

 

一枚板のチーク材を使った扉

一枚板のチーク材を使った扉


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目次 2015年11月号