小磯良平「踊り子」1940年頃 油彩 神戸市立小磯記念美術館蔵

洋画家・小磯良平と阪神間モダニズム

洋画家 石阪 春生 さん × 小磯良平次女 嘉納 邦子 さん

 

日本洋画界を代表する小磯良平画伯のアトリエをしばしば訪ねたという洋画家の石阪春生さん。
懐かしい住吉山手にある、現在は小磯家の次女・嘉納邦子さんが住むお宅で、思い出話に花が咲いた。

 

寡黙で勉強家の小磯先生との出会い

 

―石阪先生の小磯先生との出会いは。

 

石阪 経済学部を卒業した私は、本家の長男というわけでもないのに家業を継がされ、面白くなくて…(笑)。絵が好きだったので2、3年、家で一人で描き、神戸の市展などで賞をもらったりしていました。叔父の詩人・竹中郁はそれを見てボロクソに言っていましたがある時、「小磯のとこ連れて行ったろ」と。そこで絵を見てもらったのですが、寡黙な小磯先生は何も仰いません。先生はどんな絵にも興味を持ち、どんな絵でも許しました。世界的に絵画が抽象化してきた時代でしたので勉強もしておられました。でも、ご自身の絵のスタイルは変えませんでしたね。

 

―その後もアトリエへ?

 

石阪 はい、それ以来ちょこちょこアトリエへ来て、僕が一人で喋っていました。先生は「ほー」「はー」だけで、たまに面白いとニコっと笑うだけ。竹中郁も僕以上に喋っていたけどね(笑)。
嘉納 竹中さんは本当によく喋っておられましたね。付き合いはよく続きました。

 

―石阪先生は、小磯先生の弟子になったのですね。

 

嘉納 父は「弟子」という言葉が好きではなく、使いませんでした。
石阪 徒弟制度に抵抗があったのでしょう。僕を目の前に置いて、先生は「僕には弟子は居ないんだよ」と。「あー、そうですかー」としか言いようがなかった。ある時は、とても偉い人に僕を「友人の石阪君です」と紹介され、びっくりしました。それも自然体なんですよ。
嘉納 もちろん慕って来てくださる方は大歓迎なんですよ。でも弟子という感覚はなかったようです。晩年になって東京芸大で教えるようになってからは「教え子」として学生さんたちを可愛がって、とても楽しんでいました。父も中央区の山本通に住んでいた若い頃には、画家たちが集まるバー「アカデミー」などに出かけていたようですが、晩年は億劫だったようで…。
石阪 そうですね、よく電話があって「東京から生徒が来てるんだ。夜は君、頼むよ」と先生がおっしゃるので、僕は先生の教え子たちを連れて夜の街に出かけました。

 

―石阪先生から見る小磯先生の絵は。

 

石阪 筆勢が美しい絵です。求心力のある先生ですから、同じような筆勢で描く画家が生まれてくるのですが、似て非なるものです。そうはならないように、僕はできるだけ筆勢を抑えようとしています。
嘉納 絵は教わって描けるものではない、線一本引いたら分かると言っていましたね。私も子どものころ絵が好きで、ちょっと描いてみたら父は「絶対にやめておけ」と言いました(笑)。

 

温厚で優しく多趣味な父親

 

―どんなお父様でしたか。

 

嘉納 口数は少ないけれど温厚で優しい人でしたよ。声を荒げて怒ることなど決してありませんでしたが、たまに顔を見ると「目が怒っているな」と分かることはありました。ごく普通の家庭で、学校から帰って来るといつも父がいて、モデルさんが来ていて、油絵具の匂いがしていることが「ちょっと他の家とは違うな」と、かなり大きくなってから気づきました。

 

―絵を描く以外に趣味をお持ちだったのですか。

 

嘉納 多趣味でしたよ。本が好きでいつも読んで勉強していましたし、画集もよく観ていました。アーチェリーが趣味でしたし、晩年はゴルフも。
石阪 僕もビギナーの頃はお供しました。
嘉納 そうでしたね。下手なのを他人に見られるのがイヤで(笑)、早朝から出かけていましたね。子どもみたいに、枕元にゴルフウェアとグッズを置いて寝ていました。
石阪 汽車や船も好きでしたね。
嘉納 精巧な模型を自分で作っていました。逗子の家の座敷にはレールを敷いて汽車を走らせていました。母に「高いのねえ」といつも文句を言われながら(笑)。

 

小磯先生の嗜好に沿った美術館を

 

―小磯記念美術館の開設にあたっては石阪先生も尽力されてそうですね。

 

石阪 アトリエにはかなりの作品がありました。それをどうするかという話になり、最終的に神戸市が美術館をつくるという流れになったということです。
嘉納 個人で維持管理するのは大変なことですから、アトリエを持って行っていただいたのはとても有り難かったですね。良い内装をしていただいたと思います。外装については石阪先生をはじめ、東京芸大の教え子の方たちにもかなり助けていただきました。
石阪 小磯先生の嗜好と違う現代建築になってしまっては大変ですからね。

 

―外観の独特な色合いも先生が?

 

石阪 外壁タイルの色目がなかなか決まらず皆が困っていたので私から、先生がとても気に入っておられた李朝の壷の色を真似たらどうかと提案したものです。

 

大阪から富豪たちが移り住んだ住吉・御影

 

―静かでとても良い環境ですね。小磯家がこの住吉山手に居を構えたのはいつごろ、何故?

 

嘉納 山本通の家を戦災で焼け出されてから疎開をし、その後やっとジェームス山に洋館を見つけ移ったところ、すぐに進駐軍に接収され、小さな家を貸していただき家族全員で仮住まいをしていました。良い場所を探していたころ、親交があった武田製薬の武田長兵衛さんから当時の武庫郡住吉村のこの土地と大林組を紹介いただき、木造の家を建てました。山本通の元の家の土地はどうなったのやら…父はそんなことには全く無頓着でしたから。終戦直後で、ものの無い時代でしたが、最高の材料を使って建てたのだと思います。
石阪 先代の小磯吉人氏と6代目武田長兵衛氏は共に大阪道修町で大阪製薬株式会社設立発起人でしたから古くから付き合いがあったんだと思いますよ。武田さん、塩野義三郎さん(シオノギ製薬創業者)、伊藤忠兵衛さん(伊藤忠商事創業者)など、当時の大阪のトップレベルの財界人は住吉村へやって来て、その後に芦屋が開けますから、私は阪神間モダニズム文化の先駆けは住吉だと考えています。芦屋は繊維業、当時でいう莫大小(メリヤス)業の豪商が多かったですね。佐伯祐三のコレクションで有名な山本發次郎さんもそうです。

 

―私たちにとっては憧れの住吉・御影ですが、その魅力は。
嘉納 意外とあまり開けていないことでしょうか。すぐそこに山があり、海も近いです。そのぶん坂はきついですがね。
石阪 東隣りの芦屋に比べても海と山が近いですね。西隣りの阪急六甲辺りと比べても、谷が浅いせいで風が穏やかです。自然環境には恵まれていますが、大阪のエリートたちが住んだのですから、それなりにいろいろ理由があったのでしょうね。
嘉納 野村さん、村山さん、大原さん等々、甲南小学校で同級生でしたからね。
石阪 僕が思うに…、大金持ちは神戸で西洋のものを買いたかった。外国人が自分たちの着る物や食べる物を輸入して店をつくっていましたから。木造船が無くなって暇になった船大工に西洋人たちが家具作りを教えた。そんな神戸の中心地に近くて最も住みやすかったのが住吉・御影だったのでしょうね。もう一つ、灘五郷のお金持ちが大阪の富豪たちと友達だったのか、それでこの辺りに住むことを勧めたのではないかと思います。
嘉納 このあたりは近所に美味しいケーキ屋さんがたくさんあるんですよ。そろそろお茶にしましょうか?

 

―素敵なお宅で楽しい時間を過ごさせていただきました。今日はありがとうございました。

 

日本洋画界を代表する小磯良平(1903~1988)。 住吉に邸宅兼アトリエを構えた。荒尾純撮影

日本洋画界を代表する小磯良平(1903~1988)。
住吉に邸宅兼アトリエを構えた。荒尾純撮影

 

小磯良平「着物の女」1936年 油彩 神戸市立小磯記念美術館蔵

小磯良平「着物の女」1936年 油彩
神戸市立小磯記念美術館蔵

 

小磯良平「二人の少女」1946年 油彩 神戸市立小磯記念美術館蔵 長女・嘉子さんと次女・邦子さんをモデルにした

小磯良平「二人の少女」1946年 油彩
神戸市立小磯記念美術館蔵
長女・嘉子さんと次女・邦子さんをモデルにした

 

モダニズム文化が香る石阪春生さんの作品「6つのいちじく」油彩

モダニズム文化が香る石阪春生さんの作品「6つのいちじく」油彩

 

平成4年(1992)、六甲アイランドに完成した 神戸市立小磯記念美術館

平成4年(1992)、六甲アイランドに完成した
神戸市立小磯記念美術館

 

小磯記念美術館内には、住吉にあった小磯のアトリエを移築している

小磯記念美術館内には、住吉にあった小磯のアトリエを移築している

 

嘉納さんのお嬢さんを描いた小磯の素描

嘉納さんのお嬢さんを描いた小磯の素描

 

小磯が長年暮らした住吉の邸宅。石阪さんと嘉納さんの話は尽きない

小磯が長年暮らした住吉の邸宅。石阪さんと嘉納さんの話は尽きない

 

「門構えは、小磯先生がいらしたころの面影が残る」と石阪さん

「門構えは、小磯先生がいらしたころの面影が残る」と石阪さん

 

美しく手入れされた庭園に石畳が続く

美しく手入れされた庭園に石畳が続く

 

庭園に残る土壁は、戦後すぐに小磯邸が完成した頃のもの

庭園に残る土壁は、戦後すぐに小磯邸が完成した頃のもの

 

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石坂 春生(いしさか はるお)

昭和4年(1929)神戸に生まれる。関西学院大学卒。小磯良平に師事し、美術団体「新制作協会」で活躍。ミステリアスな女性像を描き、独自の幻想世界を表現する。1998年に兵庫県文化賞を受賞

 

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嘉納 邦子(かのう くにこ)

昭和11年(1936)生まれ。戦後日本の洋画界をリードした
小磯良平の次女


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目次 2015年12月号