神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第14回

剪画・文
とみさわかよの

貞松・浜田バレエ団・ジュニアバレエ団・バレエ学園代表
貞松 融さん

神戸に暮らす人にとって、バレエは比較的身近な芸術。それは貞松・浜田バレエ団があるからでしょう。クラシックバレエを中心に、創作作品は170以上のレパートリーを有し、海外公演を含む公演は千回を超えるバレエ団。文化庁芸術祭大賞はじめ数々の賞を受賞、個々の団員の受賞はそれこそ枚挙に暇の無い、正真正銘の実力派揃い。そんなバレエ団の代表・貞松融さんに、神戸にバレエ文化を根付かせるまでを語っていただきました。

―舞台人生の始まりは演劇だったとか、舞台芸術の世界へ入られたのは、何かきっかけが?

 それはね、戦争があったからなんですよ。僕らは、国のために戦って死ぬんやと教わって育って、戦争が終わったとたん生きなきゃならなくなった世代。何を生きる拠り所にしようかと考えた時に、芸術に行き当たった。歌でも絵でも何でもよかった、芸事は人を裏切らないから。高校の時チェーホフの芝居を主演し、その後劇団を創りました。

―どのような経緯でバレエに転向され、神戸にバレエ団を創るまでに?

 リトミックダンスを習って劇団員に教えてたら、法村・友井バレエ団の法村先生から内弟子にならないか、と言われてクラシックバレエに転向しました。東京の松山バレエ団に入って、全国で公演に出て、海外へも行った。でも僕は神戸生まれの神戸育ちだからね、神戸にクラシックバレエを根付かせたい、と思って帰って来た。妻(浜田蓉子)は一九五五年に研究所を開いていて、僕が一九六〇年にバレエ学園を創った。統合したのが一九六二年、バレエ団を結成したのが一九六五年です。

―バレエというと、華やかな舞台の裏は厳しい練習と鎬を削る競争社会、というイメージがあるのですが…。

 おっしゃる通り、バレエは厳しい世界です。バレリーナは努力の天才であることはもちろん、体や才能といった天性のものが要求される。その厳しさを全部、自分で越えていかなきゃならない。僕自身も背が低くて、自分より大きなパートナーを持ち上げる様は美しくない、まるでコミックになってしまうと気付いて、それならとことん脇で頑張ろうと決めた。悟ったというか、目覚めたというか、演出したり台本を書いたりし始めたのもその頃からだね。

―貞松・浜田バレエ団は、公演前にストーリーやその演目に出てくるマイムの解説があります。何も知らずに見ていても美しいですが、例えば「踊りましょう」のマイムがわかっただけでも、バレエが身近に感じられました。動きが読み解けるとまた、楽しさが増しますね。

 プロからは「あんな詳しい解説は、本公演ではしない方がいい」と言われるけど、お客様には好評。実は僕も、初めてバレエを見た時、出演者に「あんたは誰なんや?」と聞きたくなってね。演劇と違って台詞がないから、登場人物の関係が兄弟なのか、従兄なのかわからない。説明があればもっと物語も見えやすくなるのに、と思った。マイムもそう、ヨーロッパ圏の人たちには当たり前のゼスチャーやお定まりのポーズ・合図も、日本人は説明が無ければ見過ごしてしまう。お客様にバレエの面白さを知ってもらうためにも、解説は必要だと確信してます。

―わかりやすい解説が、ファンを増やしているのでしょうね。「子供の頃からクリスマスには、家族で“くるみ割り人形”を観に行くのが楽しみで」という友人がいますが、今や貞松・浜田バレエの団の公演が、神戸の風物詩になっています。

 いつも思うのは、東京で修行して帰って来たのが神戸でよかったということ。山があって、まちがあって、海があって、その中で四季の変化を感じている阪神間の人には、自ずと審美眼がある。そんな人たちが見守り支えてくれたから、バレエ団の今があります。拍手が来る、踊り手も頑張る、スタッフも新バージョンを創ったり衣装を変えたりと張り切る。そんなふうに共鳴しあって舞台を創っていけるのは、感受性が備わったお客様あってのこと、感謝しているんですよ。

―若い人たちにバレエの世界を語るとしたら、なんと?

 先程も言ったとおり、バレエは努力したからといって報われる保証も無く、現実は厳しい。でも踊りは人間には必要なもので、音楽があって、物語があって、体で何かを表現することは、自然な行為。バレエは美しさと生きている感動に出会える、すばらしい世界です。それから、メールでつながってるのと全然違う、体を使った人間同士の世界でもある。うちのバレエ団は先輩・後輩の仲が良くて、最初そっけなかった子もうちとけて、とてもいい仲間になっていく。ジュニアバレエ団を卒業して、演劇やオペラなど他の舞台芸術に進んだ生徒たちが皆、「バレエをやっててよかった!」と言います。

―神戸にクラシックバレエを、とバレエ学園とバレエ団を創設し、全力で頑張ってこられました。夢かなえた人生と言えますか?

 生徒が育って、お客様に楽しみにしていただいて、もう贅沢過ぎるくらい。夢を全部プレゼントしてもらったようなものです。僕はいつのまにか経営者になってしまったけど、明日食べられるかもわからないまま、ただ夢を追って来ただけ。あとは世代交代、うまくバトンタッチするのが最後の夢かな。
〈2011年1月8日取材〉

「ロシアンダンス」ジャンプしているのが貞松融さん、下の女性が奥様の浜田蓉子さん

「ロシアンダンス」ジャンプしているのが貞松融さん、下の女性が奥様の浜田蓉子さん

「くるみ割り人形-お菓子の国ヴァージョン」2010年12月公演より 撮影:正路隆文(テス大阪)

「くるみ割り人形-お菓子の国ヴァージョン」2010年12月公演より 撮影:正路隆文(テス大阪)

とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。


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目次 2011年2月号