「神戸」の地名の由来と深い関わりを持つ生田神社

連載 神戸山手 坂ものがたり 第六回

神が望んだ地、神戸

加藤 隆久さん(生田神社宮司)

150万都市のルーツは神を守るわずか44戸の集落

日本書紀によれば今から1808年前、神功皇后が三韓征伐の帰途、難波のみなとに入ろうとしたところで船が進まなくなったので占ったところ稚日女尊(わかひるめのみこと)があらわれ、活田長峡(- ながお)国に居たいので海上五十狭茅(うながみのいさち)に命じて生田の地に祭らせなさいという神託があったことから生田神社がお祀りされました。
後ろは山で前は海の寒村に生田神社はお祀りされましたが、大同元年(806)に神封44戸を賜り、その集落は生田の神を守る家=戸という意味で神戸(かんべ)村となり、それがやがて今の150万都市神戸へ発展するわけです。つまり、神戸という地名の発祥は、実はここ、生田神社にあるのです。
その後、来年NHK大河ドラマの主人公になる平清盛が、山と海が迫って自然の要害であるこのあたりに福原に都を移そうとしたのです。やがて源平の戦いでは、一ノ谷の合戦で生田の森は戦場となりました。当時は現在のフラワーロードのところに生田川が流れており、そこにバリケードを築いて、生田の森は東の本陣だったのです。戦の最前線で、清盛の嫡男平知盛をはじめ重衡(しげひら)、知章(ともあきら)が守っていて、そこに頼朝の弟の源範頼(- のりより)が魚崎のあたりから大軍で攻めてきました。また、神戸ではその後湊川の合戦もありました。
幕末には勝海舟が塾長を務めた海軍操練所が設けられ、寮は生田神社の近くにあり、坂本龍馬や陸奥宗光が暮らしていました。勝海舟も生田神社の近くに住んでいたと記録を残しています。

神戸の歴史を紡ぐのは、さきがけとよみがえり

神戸は開港が箱館や長崎よりも開港が遅れたのは、天皇のおられた京都に近いからでした。慶応3年12月7日の開港し外国人の居留地を設けることにしましたが、兵庫は当時3万戸くらいある大きな街で、大輪田では都心に遠く、適当な場所がなかったのです。そのときに生田の後神(ごこう)神主が、進取の気性があったのか、それなら生田さんの門前に持ってくればどうかと打診し、居留地ができたのです。
するとそこに、外国の文化が押し寄せてきました。明治22年に神戸市ができますが、世界に門戸を開いて急速に発展し、海外との文化交流の刺激もあって、神戸ではじめて作られたりおこなわれたりしたものが他都市と比べて圧倒的に多いのです。
神戸における「日本初」は洋服、靴、マッチ、ゴム製品、洋菓子、ラムネ、コーヒー、紅茶、ソース、豚まん、パン、ゴルフ、サッカー、ボクシング、マラソン、競馬、映画、水族館、ジャズ、シャンソンなどが挙げられます。比較的新しいものでは花時計、有線放送、移動便所、生協、ケミカルシューズ、人工海上都市、新交通システムなどもあります。つまり、近代文明は港町神戸がリードしたと言えるのではないでしょうか。
ちなみに、人工海上都市・ポートアイランドの発想は、すでに平清盛にあったのです。清盛は人工島の築島を開削して、そこで日宋貿易をおこなうという壮大なプランを神戸で描いていたのですよ。また、神戸は灘の酒造で有名ですが、酒造のルーツは生田神社にあります。平安時代に編纂された『延喜式』には生田神社をはじめとする4社の稲束を集め、生田さんの境内で神主がそれで酒を醸し、敏馬(みぬめ)の崎(今の岩屋あたり)で新羅の要人をもてなしたとあります。
また、神戸は数々の災害に遭いながらそのつど復興してきました。私が経験しただけでも昭和13年の水害に昭和20年の大空襲、そして平成7年の阪神・淡路大震災があり、生田神社もそのたびに大きな被害を受けながら復興しています。震災の時は神戸が壊滅的な状態になりましたが、神戸のルーツ・生田神社の再建なくして神戸は立ち上がらないと、1年半で復興したのです。生田神社はよみがえりの神としても信仰を集めています。

発掘で明らかになった生田神社西の「住み心地」

生田神社周辺は古くから開けた土地であると推察されながら、そのことを実証する遺跡がなかなか発見されませんでした。しかし昭和61年、生田神社の西側で米蔵と思われる倉庫群や竪穴式住居などの後が発見されました。遺跡の規模が大きいので生田神社をお祀りしていた古代の豪族の屋敷跡とみられ、生田遺跡と命名されました。
また、最近ではホテルトアロード裏手の中山手再開発の際に縄文遺跡が発掘され、生田神社の西側は太古から人々が住み着く豊かな土地であったことがうかがわれます。また、今でも「北長狭通」という地名が残っていますが、今の北長狭通や中山手の段丘はかつて長峡とよばれ、神戸でももっとも古い地域にあたるのです。このあたりは太古より豊かで住みやすい場所だったのでしょう。ここを稚日女尊が希望したのも頷けます。
いま、世の中は混沌としていますが、こういうときこそルーツに戻ることが大切です。今年は辛(かのと)の卯年。辛とは物事が新しくなる、卯とは開くという意味ですので、今一度神戸のルーツに立ち返って兎のように飛躍の年にしたいものですね。

勝海舟が塾長を務めた海軍操練所跡(神戸市中央区)

勝海舟が塾長を務めた海軍操練所跡(神戸市中央区)

生田神社は緑に抱かれる。神戸の鎮守の森でもある「生田の杜」

生田神社は緑に抱かれる。神戸の鎮守の森でもある「生田の杜」

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加藤 隆久(かとう たかひさ)

生田神社宮司
1934年岡山県生まれ。文学博士。生田神社宮司。神道青年全国協議会会長、兵庫県神社庁長、神社本庁常務理事を歴任するほか神戸芸術文化会議議長、神仏霊場会会長など数々の要職を務める。昨年、神社本庁より鳩杖拝授と長老の称号が与えられた


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目次 2011年2月号