東谷恵子さん

3.11とつながる 忘れない東日本大震災

岩手県大槌町 東谷恵子(あずまやけいこ)さん

(グループ「あいとなっく」主催講演会より)

人のために役立つ人間に

私が生まれ育ったのは岩手県の大槌町「吉里吉里」というところで、『ひょっこりひょうたん島』の舞台となったといわれる蓬莱島があります。昔の大槌村は道路も整備されておらず、他所の人が入って来るような場所ではございませんでした。私の家は船主で大家族の中で育てていただきました。そして小さい頃から私は、船の神様である「おふなだ様」として育てられて来ました。「お前は神様だから悪いことをしては駄目。人のために役に立つような人になりなさい」と言われて来たのです。
小さい頃から大勢の人の前で喋ったり歌ったりしてきたので、人前で喋る職業に就きたいと思うようになりました。そこで選んだ道が、東京に行ってバスガイドになるということでした。その時には親族が200人ほど集まって来て、誰ひとり賛成してくれませんでした。それでも自分のやりたいことをやらずに後で後悔するの嫌だと思い、ひとりで上京することに決めたのです。
昭和45年の岩手国体を機に立派な道路が整備され、岩手でもバスガイドの仕事ができるようになりました。岩手の桜の季節には女性グループが多く、よく案内したものですが、今年の東北の桜は津波の影響でほぼ全滅でした。本当に悲しいことです。

「微力」は「無力」ではない

地震のあった3月11日はすこぶる晴天でしたがとにかく寒かったです。たまたま仕事が休みだった私は、その時間はこたつでテレビを観ていました。そこに強烈な揺れが来たのです。座っていてもごろごろんと左右に振られるような強い揺れでした。這いつくばって外に出ると高台から下が湖のようになっているのが見えました。その時、ひいお祖父さんが縁側で「明治29年の津波の時は波の高さが15メートル、昭和8年の津波の時は10メートル」と言っていたことをふと思い出したのです。そして「ここの家は高台にあるから、万が一ここまで波が来ることがあればこの集落は全滅だ」と言っていた場所まで、今回の津波は来たのです。高台の畑だった場所に建った新しい家だけが残り、それ以外は全部流されました。下の方で私に向かって手を振っている人に「津波が来てるから危ない」と叫びましたが、「ここまでは来ないから」と言っている人が目の前でさらわれていきました。ただただ呆然と見ているだけでした。夜になって家の明かりがひとつもない暗闇で、星がよく見えたのです。今まで見えたことのない星まできれいに見えました。それが無性に悲しかったです。
次の日、一番高台にあるお寺に向かうと大勢の人が来られていました。その時点で水があり、ガスも使える状態だったのですがお米がなかったのです。私は残ったお家を一軒一軒回って、「炊き出しのためのお米を提供してください、物資が入りましたら3倍にして返しますので」と言って回りました。提供してくれた人と量をきっちりメモして、ずるずるの坂道を転ぶようにして米を運びました。その繰り返しでした。小さな頃から人のためにできることをしなさいと言われて育ったからです。私のできることは何なんだろうと考えての行動です。
物資が入って来てからも、バス会社に連絡してバスをだしてもらい、温泉に無料に入れてもらえる手配をして、ツアーの順番を組んで全部自分ができることはやってきました。小さな力は「微力」ですが、決して「無力」ではないんです。自分のできることをまずやることです。

健やかに暮らせる町へ

まだたくさんの方々が仮設住宅で暮らしています。病院に行くのも一苦労です。すっかりずたずたに心が傷付き、半分以上立ち直っていない方々もいます。私自身も震災から2年目になってやっと戻れた気がします。関西の方々からもたくさんの支援をいただきました。本当に皆さんに膝をついて御礼を言いたい。
今は、語り部として全国で、震災の体験や、被災地の現状などをお話ししています。ありがたいことに、たくさんの良い出会いがあって、いろいろなところでお話しする機会をいただいています。地元では、なかなか助成金や義援金がおりない、私立の施設、たとえば保育園などですが、困っている人のところに、わずかでもいいからお金を寄付して、早く再建させたいと思っています。今は吉里吉里の保育所再建の支援活動をしています。
前期高齢者、後期高齢者という言葉がありますが、自分では中期高齢者だと思っています。私は助けていただいた人には、御礼の気持ちが届く活動をしたいと思っています。ぜひ東北に来てください。そして小さな力で結構ですから手助けがほしい。これからも東北を見守り続けてください。

(6月15日楠公会館にて)

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