連載エッセー/コーヒーカップの耳 99
出石アカル
題字 ・ 六車明峰
宮翁さんこと、宮崎修二朗氏88歳の話をお聞きして書き始めた幻の詩人、北山冬一郎だが、思わず長く書くことになった。
宮崎氏は神戸新聞社で出版部長も務めた凄腕の記者だった人。生前の富田砕花翁に信頼され、富田邸の門番と称された人である。
今号は、宮翁さんの話から、さらに発展した話。
前号で、梅崎英行さんという人が、千葉から来店されたことを書いた。そして色んな資料をわたしに提供して下さったと。
その中に、太宰治の晩年に師事した別所直樹が北山と関連があることを示すものがあった。
そこで、梅崎氏に教えられた別所の著書、『太宰治 失意の遺書』をわたしも当たってみた。
驚きました。
そこには、北山と別所との交流が生々しく書かれているではありませんか。それも、わたしが宮翁さんからお聞きして興味を持った、あまりにも人間臭い話が。
こんなくだりがある。
―彼が身体を動かすと、なんだかざわざわという音がする。「なんの音だろう」とぼくは呟く。するとKは面白そうに笑うのだった。「ワイシャツの下に、新聞紙を入れてるんや…。紙というのは、とっても暖かいものなんだぜ」―
これは全く宮翁さんの話そのままである。
さらに、北山と太宰治との関係。
宮翁さんは北山の『小説 太宰治』を贋作だと話しておられた、と前に書いた。それで、北山と太宰との関係を調べたのだが、なかなか分からなかった。ところが、この別所の本によると北山は太宰に会っていたのである。その様子がかなり詳しく書かれている。
―「北山もぼくも相当に酔っていた。ぼくは北山を二人に紹介した。北山はきちんと坐って最敬礼した。ぼくは太宰と英光の話に耳を傾けていたのだったが、ふと気がつくと、北山がごろりと寝転んでいるのである。ぼくはあわてて彼をゆすぶった。しかし、泥酔していた北山はなかなか起きない…」―
この時、居合わせた田中英光(※)が「水をぶっかけてやりましょう」と言ったと。
とんでもない初対面である。しかし彼は太宰を敬愛していたというのだ。いかにも北山らしい。
その翌年、太宰の葬式には二人一緒に参列している。
この本を読んで思うのは、別所と北山との交流の不思議である。別所は書く。
―(略)昭和二十八年七月なかばごろである。
たそがれどきだった。遠くでひぐらしが鳴いていた。
ふと生ぬるい風に乗って、焼酎の匂いが流れてきた。ベッドの傍らに立っている。焼酎の匂いにまじった汗の匂い。充血した眼。よれよれのワイシャツが風にひるがえっている。Kは黙って、二つに折った原稿用紙をぼくに差しだした。
「本気で大阪に帰る。すまん二枚たのむ。最後だ、もう東京へはこない。精神も肉体も駄目。何もいうてくれるな」
まだ、焼酎が飲み足りないんだな、とぼくは思った。
彼は「これが最後だ」といいながら、ぼくの乏しい金を持ち去る。あるときは電車賃、あるときはドヤ代、あるときはメシ代といっては金を持って帰る。
ぼくは彼の嘘には慣れっこになっていた。そして、これが最後だ、とぼくは思った。そして、その通り、それが最後になってしまったのである。―
騙されると分かっていながらのつきあいである。
その後もラジオから、北山の詩が流れてきたのを聞いて、「Kはどうしているだろうか」と思い、「それほど彼は不思議な魅力を持った男なのだ」と書く。
さらに、
―彼には不思議な才能があった。ぼくらは金を持たねば行動が起こせない。しかし、Kは無一文のときでも平気で出掛ける。そして、人を訪問するのだ。ちょっとしたひっかかりを利用しては訪問し、そこでまず電車賃を借りる。電車賃を借りないまでも、その相手がたまたま金を持っていて、Kの文学論を聞いていると、ふっと酒を飲ませたくなるらしい。酔ってしまえば、もうKの勝である。相手の家に泊り込んでしまうばかりだ。―。
ここで前号を思い出してほしい。神戸の詩人、鈴木漠さんの記憶である
「昭和28年ごろの『詩学』に警告記事が出ました。最近、別所直樹の名を騙って飲食や宿泊を強要するニセモノが全国的に出没しているので注意ありたし、というものでした」
そしてわたしは、「これ、断言できないけれど、ほぼ北山冬一郎の仕業でしょうね」と書いたのでした。今、この別所の書いたものを読んで「北山冬一郎の仕業だと断言」できます。
この別所直樹との交流については、やがて梅崎英行氏がその論文に詳しく書かれると思うので、わたしはこれぐらいで。 つづく
※ 田中英光―早大在学中にオリンピック、ロサンゼルス大会に漕艇選手として参加。「オリンポスの果実」は、それをモチーフに書いた小説。後、太宰治の墓前で自殺。
出石アカル(いずし・あかる)
一九四三年兵庫県生まれ。「風媒花」「火曜日」同人。兵庫県現代詩協会会員。詩集「コーヒーカップの耳」(編集工房ノア刊)にて、二〇〇二年度第三十一回ブルーメール賞文学部門受賞。喫茶店《輪》のマスター。