
草葉達也の神戸物語
ゲスト:川西祐三郎さん
(版画家)
私は神戸を象徴するランドマークでもあるポートタワーと同い年です。最近は改修工事により赤色だけではなく、いろんな色のライティングが楽しめるようになっていますが、私はやはり赤色のポートタワーが好きです。川西祐三郎さんは、そんなポートタワーをはじめ神戸のあらゆる景色を版画という形で世に送り出し、神戸っ子にとっては本当に馴染み深い版画家です。
「川西先生はお生まれは?」「私は神戸で生まれ、神戸で育ちました」「神戸はどちらですか?」「兵庫区です。東出町で川崎造船所の近くです。この家に引っ越してから三十年にになりますから、五十年近くはいました」「あの辺りは、高田屋嘉兵衞でも知られる商業の盛んなところと聞いていますが」「私のところも、私で八代目続く廻船問屋で灘の酒を江戸で売って、それから北海道でニシンを買って帰るような商売をしていたようです」
「どんなお子さんでしたか?」「私はとにかく体が弱くて、すぐ熱を出すので親が怖がって過保護にしたから余計にいけなかったんです。小児科の医者から『あの子まだ生きてるんですか?』って言われてたらしいです(笑)」「まだ生きてるんですかはひどいですよね(笑) ではあまり外で遊ぶという感じてはなかったのですね」「そうですね。近くの造船所の進水式を見るのが一番楽しみでした」「私も何度か見ましたが、進水式って凄いですよね」「私の子供の頃は軍艦が盛んに造られていましたら、本当に凄かったです。勇ましくて・・・」「あまり外で遊ばずに家でということですが、ではその頃にお父様の川西英先生から版画を習うといいますか、手ほどきを受けていらっしゃったのですか」「八歳の頃からね、父が仕事を始めたら真似をしたくて、父の隣に机を持っていって同じようにするのですが、父にしたら今から仕事をしようと思うのに邪魔が入るので、いつも機嫌が悪くて」「八歳から、もう作品を作られていたのですね」「そうです。神戸市立博物館であった展覧会も、本来ならば八歳の子が将来まさか版画家になるとは思いませんので、作品ナンバーを入れたりする物ではないのですが、なんでも父の真似をしていたので、全部作品ナンバーを入れていました」「英先生から習ったというよりも真似をしたという感じですか」「父は絵描きになることを大反対されていました。だから誰に習うことも、美術大学に行くことも許されなかったんです。すべて独学で始めたものですから、弟子志願に来ても全部断っていました。それで、私だけが家で父のすることを真似して身につけたわけです」「そうですか。川西先生はサラリーマンの経験がおありだと聞きましたが」「はい。まず生活を確保して、それで好きな物を作るということで仕事に就きました。私は電車が大好きで、電鉄会社しか嫌だと思っていましたら阪神電鉄に入れて凄く喜んでいましたが、電鉄ではなく百貨店に配属になりましてガッカリしました(笑)」
電車の話になると、まるで少年のように楽しそうにお話してくださいました。話を聞かせていただいた応接間には、川西先生御自身が作られた電車の模型が並べられ、本当に電車が好きだということがわかりました。作品の実物を惜しげもなく広げて見せてくださったり、本当に気さくで楽しい先生でした。神戸では中突堤付近が今でも一番好きでよく行かれるとか。神戸以外に住んだことがないと、笑いながらおっしゃっていたのが印象的でした。これからも、神戸の街の風景を後世にたくさん残して欲しいと思います。川西先生ありがとうございました!
川西祐三郎(かわにしゆうざぶろう)
1923年版画家川西英の三男として神戸に生まれる。父を師として木版画制作をはじめ、1942年第11回日本版画協会展初入選、以来数々受賞。日本版画協会会員、国画会会員。神戸風景、日本各地の風景、ヨーロッパの風景など、現在までの制作数は1,200点に及ぶ。
くさば たつや
神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員
日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員
大阪大学文学部研究科