みんなの医療社会学 第一回

医療ツーリズムを考える

―まず「医療ツーリズム」とは何かを教えて下さい。
川島 より良質・高度な医療を求めて、主に外国を訪れることを言います。

―日本の「医療ツーリズム」はどのような現状ですか。

川島 10年ほど前から主にアジアの国々が外貨獲得のために国をあげて医療を営利産業化してきました。日本の医療も一部特殊な分野で最先端を走っています。低迷する日本経済のけん引役を目的にして主に経済産業省が、韓国やタイに追いつけ、追い越せと「医療ツーリズム」を推進しています。

―どういった人たちが利用しているのでしょうか。

川島 10年前までは、自国で十分な医療を受けられない後進国の人々が先進国へ出かけるというのが「医療ツーリズム」でした。その流れが逆転してきています。例えばイギリス、カナダの医療は、病気になると、あらかじめ登録された主治医にアクセスした上で各科に振り分けられ、さらに専門病院へ行き、診断が下されます。その後やっと必要に応じて手術へと進むシステムです。そこで何ヶ月、場合によって1年、2年と待たされる場合もあります。ところが、お金さえ払えばタイやシンガポールなどでは、すぐに準備を整えて手術をしてくれます。これを望んで外国へ出かけて行くのが「時間の短縮を求める」医療ツーリズムです。
 もう一つは「安さを求める」医療ツーリズムです。アジアの国はもともと物価が安いので医療費も安く、タイやインドなどは、アメリカと比べれば1/10程度です。アメリカは公的医療保険がありませんから、私的保険にも入っていない無保険者が4千万人~5千万人も存在します。その人々が大きな病気にかかると、渡航費や滞在費を負担しても、外国へ出かけて行ったほうが安く医療が受けられます。また、私的保険に入っている人の場合でも、保険会社も支払う治療費を少しでも安く済ませたいので、海外へ行くことを勧めているのです。

―アジアの病院のレベルに不安がありませんか。

川島 そのためにアメリカの病院品質認証機関・JCIが各国の病院を認証しています。例えば、タイには9カ所、シンガポールには16カ所、インドには15カ所など、認証病院があります。それぞれに国や企業をあげて投資し、最新の機器、優秀な医師、五つ星ホテルなみのサービスを用意しています。

―良いことばかりのように思えますが、それらの国ではどういう問題が発生しているのですか。

川島 例えば、この10年間「医療ツーリズム」を国策として歩んできたタイでは、あらゆる設備を整え多くの優秀な医師を集めたJCI認証病院で、先進医療が外国の富裕層の人々の為だけに提供されており、一般庶民がそれらの医療を受けたくても料金が高すぎて受診できず、高度先進医療はお金持ちしか受けられない状況に陥っています。更に、これらの病院では最先端の医療機器が備えられ、一般病院の5倍以上の医師の給料が支給される為、若い優秀な医師達はこぞって、これらの病院に集中し、地域の一般病院は極端な医師不足と医師の偏在に苦しんでいます。

―イスタンブール宣言と言う医療倫理規定があるそうですが・・。

川島 これは移植医療に関してのものです。世界移植学会が2008年5月に、臓器提供の自国完結のために努力することや、臓器取引と移植ツーリズムは公平、正義、人間の尊厳といった原則を踏みにじるため禁止すべきであることなど、倫理上の規範を定めたものです。

―神戸では「生体肝移植」を推進する報道がなされていますが、この規範に照らしてどうなんでしょうか。

川島 日本は経済のけん引役としての医療ツーリズムを進めるにあたって、タイなどのツーリズム先進国に比べ既に、施設、言語対応、料金の安さなどの面で遅れをとっています。そこで「日本には何があるか?」と考えた時に浮上してきたのが世界でもトップクラスの移植医療です。特に生体肝移植では多くの実績を持っています。
 神戸は震災後、低迷する経済の活性化を目指す必要があり、赤字空港の利用促進も大きな課題です。そこで、外国の富裕層の患者さんの為の生体肝臓移植などを行う高度専門医療の病院をつくり、神戸医療産業都市構想の一環として、国や自治体も積極的に計画を進めようとしているのです。

―生体からの移植には問題点が多いのですか。

川島 健康な生体にメスを入れ臓器の一部を取り出すということはそもそも生命倫理上、決して正しいことではなく、移植用臓器は脳死体から提供してもらうというのが原則だと考えています。しかし、日本には生体からの移植を規制する法律はありません。従って罰則もなく、世界移植学会および、日本移植学会の倫理規範のみが拘束力を持っています。
 確かに生体からの移植は非常に定着率も高く、治療効果だけを考えれば優れた方法です。しかし諸外国の例を見ても分かるように、生体移植の裏には必ずといっていいほど人身売買・臓器売買の問題が起きています。お金を得る為に自分の臓器を売ったり、借金の形に臓器の提供を強いられたりすることもありましょうし、健康な人の臓器を一部切り取るのですから、提供者(ドナー)の体への負担は重いものです。難病に苦しむ身内に自分の臓器を提供しなければ世間から非難されるのではないかというプレッシャーを家族に与えるケースも出てくるでしょう。
 そこで「移植ツーリズム」に歯止めをかけようとイスタンブール宣言が出されたのですが、日本はそれに逆らってまで国をあげて、営利目的の「移植ツーリズム」を進めようとしているのです。もちろん人道的な判断で生体移植を行うことはありますが、国が率先して営利を目的とした生体移植医療を推進することは、先進国として恥ずべきことだと考えています。

―神戸の医療産業都市構想全体にも懸念を持っているのですか。

川島 新しい薬や医療機器の開発は素晴らしいことです。兵庫県医師会としても全面的に協力したいとお話しています。
 ただし、生命倫理に反することまでを手段として新薬や医療機器の開発を進めてはならないことを強調しています。これまでも日本は、人道的な見地で外国人の診療も受け入れてきました。進んだ技術を世界中で平等に受けられるようにするのが医療の使命です。それを、富裕層だけのものにしようとしていることを問題視しています。さらに、先進医療で富裕層だけを受け入れる外国人枠をつくると、日本人でもお金を払う余裕がある人だけが保険を使わず、その枠を使おうとします。経済的にあまり余裕がない人も先進医療を受けたいが為に、せめて入院費や検査代は保険を使わせてほしいということになり、保険と自費が混在する「混合診療」を導入しようという動きが強くなります。しかしながら手術代等の自費の部分が払えない一般人や低所得層の人々は、いつまで経っても先進医療の恩恵に与れないままになってしまいます。
そうなれば、世界でも例を見ないほど公平、安全、平等を誇る日本の医療体制が崩れてしまい、混合診療や株式会社による病院運営などを助長するものになってしまうと危惧しています。

―「医療ツーリズム」にはずいぶん陰の部分が存在するのですね。

川島 このように医療の平等性を破壊し、医療格差を生み、医師不足や医師の偏在を助長し、生命倫理にも抵触する「医療ツーリズム」の導入には、兵庫県医師会として強く反対致しております。

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川島 龍一(かわしま りゅういち)

(社)兵庫県医師会会長
神戸大学医学部卒。甲南病院外科医長、神戸大学医学部講師などを経て1983年、神戸市東灘区に川島クリニックを開設。(社)神戸市医師会会長などをへて、2010年4月から(社)兵庫県医師会会長を務める


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目次 2011年1月号