神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第12回

剪画・文
とみさわかよの

財団法人神戸国際協力交流センター顧問
(前神戸市長)
笹山 幸俊さん

美しい神戸のまちは、入念な都市計画によって形作られてきました。戦災復興で再開発・区画整理を行い、まちを整備した笹山さんは、市長在任時に阪神淡路大震災に見舞われます。新しい手法で震災復興を主導し、今は第一線を退かれた笹山さんに、神戸への思いを語っていただきました。

―3期市長を務めた神戸を、自慢なさるとすれば?

神戸はええとこですよ。たいていの人がええまちや、言うてくれる。市街地から六甲山を眺めてるだけでも、気持ちいいでしょう?この景観が台無しにならないよう、建物が山の稜線にかからないよう規制して、新しくビルを建てる方には協力してもらっている。誉めていただける神戸の景色やまちなみは、皆が努力して守っているということだ。

―都市計画一筋に歩んだ市長と言われますが、常に意識されたことはありますか?

自分で歩くこと。職員にも、まちを見るには必ず歩け、と言い続けたね。僕は1946年に入庁、まず戦災復興に取り組み、「焼け跡をどうするか」から仕事をした。とにかくまちを歩いたから、隅々までしっかり頭に入っている。これが阪神淡路大震災の時、役に立った。

―戦災復興に取り組み、市長として震災復興にも取り組むことになりました。
戦災であれ震災であれ、大切なのは「こういうまちにする」という計画。これが無い段階で被災住民が勝手に家を建てると、また災害に弱いまちになってしまう。戦災復興の時は都市計画に基いて、バラックをつぶし焼け残った地域も再開発した。震災復興では、地域の住民の皆さんに「どんなまちにしたいか」を、一緒に考えてもらった。まちづくり協議会と意見交換しながら進めたので、早く計画を示すことができ、住民の安心にもつながったと思う。

―従来の「住民に対しては計画が決まってからの説得だけ」ではない、新しいまちづくりの実践ですね。

それでもまだまだ、行政側の対応が不十分だった反省はある。投げ掛け方や説明の仕方が違っていれば、もっと地域の皆さんの意見を引き出せたかもしれない。しかしこういった経験が、市民・専門家・行政で話し合って決めるという、「協働と参画」の基盤となった。市長引退後、全市内を縦横に歩きまわった。再開発で揉めた地域の方も、声を掛けてくれたよ。

―では最後に、神戸に生きる若い世代へ、メッセージをお願いします。

神戸は戦災、震災といろいろあったけど、過去よりも今からの方が大事だ。山あり海ありの神戸のまちを、守って欲しい。何よりも若い人たちには、自分の足でまちを歩いてもらいたい。まちの歴史を学んで、それを確認する時には、やはり徒歩だ。神戸を歩いて、神戸を知って、これからの神戸をつくってください。

とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。


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目次 2010年12月号