連載 浮世絵ミステリー・パロディ㉓ 吾輩ハ写楽デアル

中右 瑛

落語家の「オモシロ口上」

 「にっぽん写楽祭」のシンポジウムのトップは落語家の登場だ。露乃五郎師匠が自説をまじえオモシロ・オカシク「口上」を述べ、シンポジウムの幕は切って落とされた。
 まず、露乃五郎師匠の口上から紹介いたそう。

    *   *

 東西、ト~ザ~イ
 みなさん、よ~おはこび頂きまして有難うゴザイマス。
 エ~さて今日は、「にっぽん写楽祭」でございまして、なぜ私がここへ引っ張り出されたのか? というのも、私が最近、「写楽」のお芝居をやらせてもろうたからやと思いまス。
 「旗もって走れ」ということになったんやと思いまスネンケド…。
 エー、何か言われるとすぐに、出ベソでっさかい「ヘイヘイ」いうて、何でも引き受けたがる。あまり断ることもヨーしまへん。
 ただ「金を出せイ!」といわれると断りまんネンけど、もらう方は何でもいただくことになってマシテ…。
 まアこの「東洲斎写楽」。兵庫のピッコロ劇場でやらしてもらいました。その時のお芝居というのは「写楽イコール歌麿説」で、「写楽は実は歌麿だった!」というのを、ちょっぴり踏まえて…というほどでもおまへんのヤガ、拝借しデッチあげました。いわばパロディですなア。
 どうせ落語家のやることでさかい、そんなこと実にアリャーしまへんのやケド、
「右手で描いたのが歌麿、左手で描いたのが写楽」
 という実にアホラシイお芝居でゴザイマス。
 最後は自分で自分の左手を潰して
「写楽は死んだ!」
 というそのあたりがパロディのパロディであるユエンでゴザイマシテ…。
 なんしろ「東洲斎写楽」という人物は、素性はもちろん、顔もどんなんか、さっぱりわからヘン。ただ天下に名作がのこっているだけで、アトは何にもわからヘンのでっさかイ、どないにでもこないにでもデッチあげられまんのヤ。まアーいうたら「ロマンは広がり次第」というもんだス。
 寛政六年五月に、それこそ彗星のごとく現れまして十二月に死んだという説と、翌寛政七年二月にいなくなったという説があり、どっちもはっきりわからヘン。
 デッさかい、どこまで生きて仕事をしていたのか? ドウか? ということもわからン。
 ただ活躍してたのが五月から十二月の九か月間、というと皆さん! 一寸、首をかしげなさったでショウ。
 五月にはじまって、六、七、八、九、十、十一、十二月の期間は八か月ヤーと、思わはりまッしゃろ、寛政六年という年はネ、陰暦の閏年で十一月が二へんおましテン。しやさかい九か月になりまんネン。
 この九か月間にナント百三十点余りの作品を描いてまァ。勘定したら二日に一枚の割合で描いたことになりまんネン。二日で一枚でアレだけの傑作が出来たかどうか? それもナゾでんなァ。
                つづく
(この「オモシロ口上」は聞き覚え記録をもとに執筆している。文章の責任はすべて筆者にある。)

露乃五郎師匠の「おもしろ口上」(1986年大阪)

露乃五郎師匠の「おもしろ口上」(1986年大阪)

20101109702

中右瑛(なかう・えい)

抽象画家。
浮世絵・夢二エッセイスト。
1934年生まれ、神戸市在住。
行動美術展において奨励賞、新人賞、会友賞、行動美術賞受賞。浮世絵内山賞、半どん現代美術賞、兵庫県文化賞、神戸市文化賞など受賞。現在、行動美術協会会員、国際浮世絵学会常任理事。著書多数。


ページのトップへ

目次 2010年11月号