[海船港(ウミ フネ ミナト)]北海道・サハリンクルーズ

日本拠点に海のLCC サン・プリンセス本格稼働体制へ

文と写真 上川庄二郎

サハリン(樺太)・コルサコフ(大泊)沖合で乗船客を送迎するテンダーボート 後ろに見えるのは、私たちの帰船を待つサン・プリンセス

サハリン(樺太)・コルサコフ(大泊)沖合で乗船客を送迎するテンダーボート
後ろに見えるのは、私たちの帰船を待つサン・プリンセス

【はるか国後(くなしり)に!】
昨夜(2013・6・16)、釧路港を後にしたサン・プリンセスは、明け方から歯舞(はぼまい)・色丹(しこたん)の沖合を通過しているはずだが、千島列島特有の海霧に包まれて何も見えない濃霧の中。
1994年にカムチャッカを訪ねたことがあるが、この時もついぞ千島列島沿岸の航海で海霧が晴れることはなかった。まあ今回も駄目か、と半ば諦めていた時、急に薄れて白い虹が表れた。
北極海で見たあの白い虹である。早速キャビンのベランダに飛び出し、夢中で眺め入った。
これは晴れるぞ!
予感は的中し、午前10時頃国後水道に差し掛かった頃から曇り空ながら国後島の北端が見え隠れするようになってきた。幸先良し!
それよりも、どうしてサン・プリンセスなの?という疑問にさきにお答えしておかなくてはならない。
【日本の港をマザーポートにやって来たLCC船】
ここ数年、アメリカのクルーズ船社がアジア、中でも経済成長の著しい中国に目をつけて上海、香港を起点に、韓国、日本、東南アジア方面へのクルーズを盛んに行ってきた。その延長線上でいよいよ日本にも目をつけ、横浜、神戸を起点に日本人向けのクルーズ事業に打って出てきた。
これに関連したことは、本誌2012年3月号・9月号でも取り上げてきたが、いよいよ今年から本格的に日本起点の主として日本人目当てのクルーズ事業を始めようとしてやってきた正真正銘の〝黒船〟である。
今年は、横浜発着日本周遊と韓国クルーズが6回、横浜発着北海道とサハリンクルーズが2回、神戸発日本周遊と韓国クルーズが1回と合計9回延べ92日間運航される。
クルーズ日程は、いずれも9泊10日から12泊13日とクルーズ日程としては手頃と考える。
私は、日本のクルーズ船と格安クルーズ船の違いも体験してみたかったこともさることながら、行き先に魅力を感じて乗ってみることにした。紛れもなく国後水道(くなしりすいどう)を通るからである。(下図参照)
ここで、サン・プリンセスの概要を見ておこう。

私たちが乗船した北海道・サハリン周遊クルーズのコース概要

私たちが乗船した北海道・サハリン周遊クルーズのコース概要

【サン・プリンセスの概要】
サン・プリンセスは、アメリカの三大クルーズ会社の一つであるプリンセス・クルーズ社が運航管理するプレミアムクラスのクルーズ船で、1995年就航、2010年改装、7万7千t、乗客定員2千22人の船である。この程度の船ではカジュアルクラスの超大型船が次々と投入される地中海やカリブ海のような競争の激しい海域ではとても他船との競争に耐え切れず、日本市場切込みの尖兵として送り込んできたものと考えられる。
来年は、サン・プリンセスに加え、姉妹船のダイヤモンド・プリンセス(2004年就航、11万6千t、乗客定員2270人)と2隻体制でやってくる。横浜発着(20回)ばかりでなく、神戸発着9回、小樽発着12回、計41回を2隻で延べ346日間運航する計画だ。
一挙に今年の運航回数9回の4・56倍、延べ日数も3・76倍と力の入れようだ。クルーズ日程は、いずれも7泊8日から9泊10日とクルーズ日程としては今年よりもやや短めに設定している。日本人向けに日程をやや短めに設定したというところだろうか。
正に黒船艦隊の来襲と言っていいだろう。
この黒船艦隊が果たして日本で経営採算が取れるのか、今日までの日本のクルーズ人口が伸び悩んでいるだけに心配する向きもあるが、私が乗船した北海道・サハリンクルーズに関して言えば、乗船客凡そ1千700人ぐらいで、うち30%がアメリカ、オーストラリアからということで、損益分岐点は維持しているようである。
【船のLCC(ローコスト・クルージング)】
この黒船の来襲を、乗船し体験してみた者として若干述べてみたい。
まず、来年の41回346日は一年の乗客募集を年間換算で43回すればよい計算になる。一方、日本のクルーズ船社はクルーズ日程が短く平均的に3泊4日程度が多い。そう考えると年間104回ほど募集しなければならない計算になる。そうすれば、募集コストだけで、2.4倍にもなる計算だ。
次にキャビンの広さである。正確な比較はできないが、バルコニー付キャビン、角窓キャビン共にサン・プリンセスは邦船の凡そ3/4と狭い。したがってベッドも幅が狭い。だが、ベッドの下にはスーツケースが収納できてその分助かる。
またレストランのテーブルも邦船のレストランと比べ手狭である。6人テーブルを8人掛けにしている感じでかなり窮屈。ディナーのメニューは若干少なめ、朝食の和食は大盆に盛り合わせで出されるなどかなり省力化されている。飲料水も有料でボトルを求めるよう明示されている。
しかし果物やコーヒー、紅茶の他にフレッシュジュースやハーブティーのサービスはよい。
洗面用具もかなり省力化されていて、歯ブラシ、カミソリ、櫛などのサービスはない。
最後に服装であるが、流石にアメリカのミレニアム船だけあってドレスコードの指定はあるもののみんな気にしない。私も持参したものの着用せずに持ち帰ったほどである。
それでも乗船した翌日(7/15)の航海日に船長主催のシャンパンプレゼント&ウオーターフォールが催され、格安ツアーのつもりでいただけにご立派なもの。乗組員で比べると、サン・プリンセスが乗客定員2千22人、乗組員900人と乗員比率44・5%、ダイヤモンド・プリンセスは乗客定員2千670人、乗組員1千238人と乗員比率46・4%である。
これに対し、飛鳥Ⅱは、乗客定員872人、乗組員470人と乗員比率53・9%、にっぽん丸は、乗客定員398人、乗組員230人と乗員比率57・8%、ぱしふぃっくびいなすは、乗客定員476人、乗組員220人と乗員比率46・2%、ぱしふぃっくびいなす以外の邦船は圧倒的に人件費率が高い。
このように徹底した合理化の結果、例えば、北海道・サハリンクルーズの料金は海側角窓のスタンダード・キャビンで9泊10日16~20万円、邦船の飛鳥Ⅱが似たようなコース(右図参照)と同じ日程の9泊10日で40~48万円と2倍を超える。如何にラグジュアリークラスだからといわれても、〝ああそうですか〟とすぐには納得できない。
正に〝黒船〟の殴り込みと言っても過言ではない。しかも彼らはアフターフォロウも忘れていない。今回の乗船客に対して詳しいアンケートを要請している。次なるリピータと新規需要の獲得のために余念がない証左である。来年(2014)には、日本のクルーズ人口(20万人弱)を倍増させると鼻息が荒い。日本市場はまだまだ開拓の余地があると踏んでいるようだ。
日本の船社も安閑とはしておれないはず。何時までもラグジュアリークラスばかり追いかけているようでは先がない。クルーズは決して富裕層だけのレジャー産業ではないことを自覚すべきだろう。日本政府も舟運観光の振興にもっと真剣に目を向けて欲しいものである。

飛鳥Ⅱが航行する北海道・サハリンクルーズ 邦船は、国後水道を通れないのが致命傷?

飛鳥Ⅱが航行する北海道・サハリンクルーズ
邦船は、国後水道を通れないのが致命傷?

【遥けくも国後水道を抜けて知床へ】
クルーズに話を戻そう。
知床の岬にハマナスの咲くころ 思い出しておくれ俺たちのことを
飲んで騒いで丘にのぼれば はるか国後に白夜は明ける

誰もが口ずさんだことのある国民的愛唱歌だ。その遥か国後の北端・ルルイ岬とルルイ岳(1485m)が私たちの眼前に姿を現したのは午前10時頃である。
左手には爺爺岳(1822mの火山、最近では1981年に噴火している。ロシア名:チャチャ火山、アイヌ名:チャチャヌプリ=お父さんの山の意)が特有の姿を見せる。
私たちは今、北方領土のど真ん中に居る。国後島の面積149 ha、長さ123㎞に及ぶ細長い島で沖縄本島より大きい。択捉島はもっと大きい。北方領土については次号で私見を述べてみたい。
船は11時現在国後島の北東部から北端に向けて航行しており、やがて北端を回って根室海峡(南西)方向に向きを変える。遥か爺爺岳が聳える。国後島西北側の海岸線は地図で見るより複雑で、幾重にも重なった海岸線のシルエットが美しい。間もなくその国後島ともお別れだ。望郷の念に駆られるがこればっかりはどうしようもない。
船はゆっくりと180度右に旋回して知床岬を回りながら次の寄港地サハリンに向かっている。

左:ルルイ岳、左:爺爺岳(国後島北端側から)

左:ルルイ岳、左:爺爺岳(国後島北端側から)

国後島西北側の幾重にも重なる海岸線が美しい。

国後島西北側の幾重にも重なる海岸線が美しい。

左:ルルイ岳、右奥:爺爺岳(国後島西北側を望む)

左:ルルイ岳、右奥:爺爺岳(国後島西北側を望む)

20130906104

航海ルートの入った地図はPRINCESS CRUISES 社並びに郵船クルーズ社のパンフレットから、国後島の地図はインターネットから、それぞれ転載させていただいた。お断りさせていただきます。

参考図書 木村 汎編:北方領土を考える 重光 晶著:「北方領土」とソ連外交
木村 汎著:日露国境交渉史 太田 昌秀 著:国境を考える
上川庄二郎 著:極地の国の福祉国家ノルウェーに学ぶ  同:南極漫歩

かみかわ しょうじろう

 1935年生まれ。
 神戸大学卒。神戸市に入り、消防局長を最後に定年退職。その後、関西学院大学、大阪産業大学非常勤講師を経て、現在、フリーライター。


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目次 2013年9月号