田辺眞人のまっこと!ラジオ出張版 「神戸っ子出張版」19

ゲスト 高士 薫さん (神戸新聞社代表取締役社長)
パーソナリティ 田辺 眞人さん(園田学園女子大名誉教授)
アシスタント 梅木ひとみさん

ラジオ関西・日曜朝の番組「田辺眞人のまっこと!ラジオ」の中の「まっこと! ラジオ人物事典」は、各界で活躍されているゲストを迎えたコーナーです。出張版では、その中でも特に面白いお話を抜粋してご紹介。

田辺 8月1日、デイリースポーツが創刊65周年を迎えました。
高士 昭和23年の創刊です。東京で日刊スポーツが創刊されたのが昭和21年、デイリーは関西初のスポーツ新聞なんです。
田辺 高士さんは大阪ご出身ですが、小さい頃から新聞記者を目指していたのですか?
高士 小学2年のときはタコ焼き屋さんになりたいと思い、小学3、4年時は松下幸之助さんを目指しました。新聞記者になりたいと思ったのは、小学5年生のときからです。
田辺 そんな小さな頃から。
高士 神戸新聞社に内定をもらい、入社までに結婚したので、新婚すぐに警察回りはかわいそうだと思われたのか、入社一年目の配属は経済部でした。二年目から警察回りとして事件・事故を担当しました。その後「遊軍記者」と呼ばれるフリーな立場になり、次に役所に出入りして行政や政治を担当するようになりました。遊軍だった頃、御影高校の教壇に立っておられた田辺先生と出会ったのです。当時から、郷土の歴史といえばお名前が挙がっていましたから。
梅木 一番大変だった取材は。
高士 グリコ森永事件などいろいろありますが、神戸市長選で、宮崎さんの後継をめぐって役所が二つに割れた、笹山さんと宮岡さんの選挙でしょうか。
梅木 読者として思い出深いのは、阪神淡路大震災のときに京都新聞の協力で届いた神戸新聞でした。2枚ほどの薄い新聞でしたが、元気を出そうという気持ちになった新聞です。
田辺 僕はそのとき港島小学校に避難していたのですが、新聞が届けられて大変驚きましたね、よく出せたなあと。
高士 1月17日当日の夕刊は、夜の8時になってやっと印刷が終わったんです。
田辺 記者として一番力を入れてこられたことは。
高士 うーん。いわゆるマイノリティの問題でしょうか。在日外国人や被差別部落の問題は、自分の持ち場が変わっても取材を続けておりました。
田辺 難しい問題ですし、継続して努力していかなくてはいけない問題です。神戸新聞は神戸の誇りでもありますから、これからも読み続けたいと思います。
(7月28日放送分より抜粋)

「田辺眞人のまっこと!ラジオ」

ラジオ関西 毎週日曜日 朝10時~12時放送中


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