本館は、国の登録文化財に指定されている

今も息づく建学精神

阪神間レトロ・モダン物語

 

灘中学・灘高等学校 校長 和田孫博さん

 

―酒造会社が中心になって設立されたといわれる旧制灘中学校ですが、講道館の嘉納治五郎さんも設立時の功労者だそうですね。
和田 この地域は昔から教育熱が高く、地域内に旧制中学が欲しいという声がありました。地元議員が、嘉納治五郎先生に相談をしたところ、先生も理想の学校を造りたいという情熱を持っておられ、「出身地で一肌脱ごうじゃないか」ということになりました。そして資金調達に親戚筋である酒造会社の「菊正宗」「白鶴」そして「櫻正宗」という酒屋の御三家をスポンサーとして紹介しました。初代の校長には、嘉納先生の愛弟子で、30代で既に高等女学校の校長だった眞田範衞さんを引き抜いてきました。建学の精神には講道館の柔道の精神をそのままいただいていますから、嘉納治五郎さん抜きには学校の歴史は語れません。

 

―建学の精神「精力善用」「自他共栄」を分かりやすく言えば?
和田 「精力善用」は自分の力を最大限に利用する。小さくても自分の力と、場合によっては相手の力を利用すれば投げ倒せるというのが柔道の極意です。勉強に置き換えれば、自分の得手、不得手をしっかり見据えて、良いところを伸ばし、悪いところを克服すれば大きな仕事が成し遂げられるという精神です。
 「自他共栄」は、どんなに偉い人でも自分一人で偉くなれたわけではない。お父さん、お母さん、恩師や親友、良きライバル…、そういう人たちの力があって今があることに感謝し、他者に還元する。単にお礼をするのではなく、自分が更に偉くなって活躍することで恩返しができ、世の中全体が更に良くなっていくということです。最近は、自分の個性ばかり主張せずにお互いの個性を認め合おうという解釈も付加しています。

 

―80年以上の歴史を持つ灘中・灘高ですが、校舎もかなりレトロな雰囲気ですね。戦災や震災では大丈夫だったのですか。
和田 昭和13年に失火で木造校舎はほとんど焼失しました。ただ、本館は昭和3年創設当初の鉄筋造りですから、当時としては昭和モダンなものだったのでしょうね。戦災を免れ、大震災にも持ちこたえ、国の登録文化財に指定されています。本校の象徴として守っていかなくてはいけないと思っています。

 

―灘といえば東大への進学校として全国的に有名ですが、いつごろからそうなったのですか。
和田 戦後の学制改革で5年間の旧制中学が中学校3年、高等学校3年になりました。ほとんどの公立ナンバースクールは高等学校になりました。本校は、1年延ばして中学、高等学校を併設しました。旧制中学時代は主要教科については先生が持ち上がるシステムでしたので、戦後も中学1年から高校3年まで同じ先生が教えるという形をとりました。いち早く6年間の一貫教育を取り入れたことで、効率良く学習指導ができ、生徒たちの変化にも気付きやすいというのが大きな要素だと思います。ただし、アルファベットのAから教える中1から、大学受験準備の高3までを幅広く教えるには優秀な先生が必要です。そういった先生方に集まっていただくためには、当時の校長先生はじめ、関係者の大変な努力があったのだと思います。

 

―先生の持ち上がりが、今の灘中・灘高の特色「担任団」の基本ですね。
和田 6年一貫教育になった当時から英数国の先生は持ち上がりでしたが、学園紛争前後から、理科、社会、芸術、体育も含め、各学年に各教科の先生を最低一人は配してチームを作るようになりました。出来る範囲ですが、先生方の年齢差、ベテラン、中堅、若手のバランスを取ってチームを組み、特別なことがない限り6年間持ち上がってもらうようにしています。

 

―担任団の成果は?
和田 生徒たちは6年間に反抗期、思春期を通り過ぎます。若手はお兄さんのように、ベテランは父親のように接することができます。相談内容によっては若い先生が向くことも、ベテランの先生が向くこともあります。また、座学だけでは気付かない生徒の変化にも体育や芸術の授業で気付くこともあります。チームで知恵を出し合い、相談して指導にあたっていることで功を奏していると思います。

 

―灘中・灘高には自由な校風もありますね。
和田 昭和44年までは丸刈り、詰襟でした。学園紛争の頃に制服がなくなり、頭髪も自由になりました。「いいなあ」と思うかもしれませんが、自由とはいえ中学生、高校生らしくという不文律がありますから、自分で考えなくてはいけません。自由の中で自分を律するのは厳しいことです。自由だからといって放任主義というわけではなく、生徒の本分から外れたり、人に迷惑をかけるなどあった場合には厳しく対応し反省を促します。細かい校則に従わせるのではなく、「自分で考えてください」というのは忍耐力がいる教育です。

 

―学習指導で心がけていることは?
和田 得意科目で90点を取っても最高得点までは10点です。40点の不得意科目は頑張ったら60点にも80点にも伸びる喜びがあります。食わず嫌いで不得意だと思い込まないこと。やってみると意外におもしろいかもしれません。「得意科目にしろ」とまでは言いませんが、まず不得意科目を伸ばせば、総合的な能力を高めることに直結するという指導をしています。

 

―今の時代〝情報おませ〟な生徒に対してはどういう指導をしていますか。
和田 ネットを使った犯罪やいじめ、ネットにはまり過ぎることの弊害、ネットの情報が必ずしも正しくないということ、情報を転用することは犯罪であることなどをしっかり教えていますが、本質的には好奇心を深めることにつながるので、規制はしていません。趣味でフリーソフトを開発している生徒もいます。そういう子も学校の成績は上位にいますから、自分でちゃんと使い分けているのだと思います。

 

―部活動も盛んですね。
和田 今年は中学のテニス部が、団体とダブルス両方とも県で準優勝、近畿でも準優勝して全国大会に出場しました。柔道は中1から高1まで正課に取り入れていることもあり部員は多いです。ノーベル賞を受賞した野依良冶さんも柔道部の九期生だったんですよ。将棋部は団体で全国優勝しました。部活動もほとんどが中高6年一貫ですから、先輩が後輩を指導します。これも本校の特色の一つです。

 

―和田先生とっての恩師は、英語の小倉恒夫先生だそうですね。
和田 厳しい先生でしたが小倉先生に目をかけていただきました。英語は覚えることから始まりますが実は嫌いだったんです。さぼっているからだんだん不得意になっていきましたが、ある時、簡単な推理小説を読み始めたらおもしろくて、辞書を引きながら読み、次の本を読み…。英語はあくまでも道具であって、それを使って欧米の人たちが考えていること、書いていることを楽しめると分かってきました。最終的に京大を卒業するときに「研究は性に合わないので教師になりたい。どこか良い学校はないですか?」と小倉先生に相談したところ、丁度欠員があるからと母校に採用していただきました。今、ここでこうしているのも、小倉先生、また当時の校長・勝山先生のおかげだと感謝しています。

 

―理想的な先生と生徒との関係はどういうものでしょうか。
和田 勉強を教えてもらうのも大事ですが、人間的な付き合いを通して、先生の人間味が伝わり信頼関係が生まれます。その先生の下なら勉強しようという気持ちが起きます。その姿勢を次の世代に伝えていく人が出てきてくれるのが一番の楽しみです。内田樹さん(神戸女学院大教授)が「街場の教育論」の中で、先生とは自分が先生から習ったことを生徒に伝えるのが最大の役目だと言っています。

 

―灘中・灘高は特別視される傾向がありますが普通の学園生活を保つために心がけていることはありますか。
和田 世間から見れば、本校の生徒はちょっと変わった子が多いかもしれません。偏差値が高いというのは優秀というのではなく、偏っているということです。個性が尖っていますが、その尖りを丸くしてみんな同じ形にしようとは思っていません。ただ、その尖りがぶつかり合わないように、お互いの個性を認め合えるようになってほしいと思っています。しかし、あまりに居心地が良すぎてもいけません。大学や社会に出てからもちゃんとやっていけるように、各界で活躍されている卒業生に土曜講座という形で授業をしてもらっています。最近は外へ見学にも出かけています。

 

―我が子に対する親御さんの過度な期待もあるのではないですか。
和田 そうですね。少子化で一人に対して期待が集中します。子離れできずに過保護という問題もあります。子どもは自我が芽生えると自分なりにやりたいことが出てきます。それが親御さんと一致すればいいのですが…、難しいところです。

 

―さて今後の灘中・灘高の目標や課題をお聞かせください。
和田 建学の精神のもとに自由、自主、自立という校風があり、伝統があます。しっかり守っていきたいと思います。その上で、他者の痛みが分かり、社会に出ても疎外感を覚えず、世界に出ても地球市民のリーダーとしての資質を備えた人として卒業させてあげたいと思っています。先生の努力もありますが、生徒同士がそのことを意識して生活してくれることに期待しています。私立校にはそれぞれ校風や理念があります。中学受験は本人の意思というよりは親御さんの意思にもとづくものですから、子どもさんに合う学校なのかを見極めることを親御さんにはお願いしたいと思います。

 

―和田校長の目標は?
和田 私のスローガンは「生徒が主役の学校」。主役を引き立てるには脇役が必要です。我々教師は、生徒を支える良い脇役でありたいと願っています。

 

今年、将棋部は団体で全国優勝を果たした

今年、将棋部は団体で全国優勝を果たした

 

柔道部のOBには、ノーベル化学賞を 受賞した野依良治さんの名前も

柔道部のOBには、ノーベル化学賞を
受賞した野依良治さんの名前も

 

20101002001

 

和田孫博

昭和27(1952)年、大阪市生まれ。昭和40年、灘中学校に入学。昭和46年、灘高等学校卒業。昭和51年、京都大学文学部文学科(英語英文学専攻)卒業。同年、母校に英語科教諭として就職。中学高校の野球部の監督・部長を務める。平成18年、同校教頭に就任。平成19年、同校校長に就任


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目次 2010年10月号