
神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 第10回
剪画・文
とみさわかよの
株式会社マキシン代表取締役社長
渡邊 百合さん
帽子の老舗、マキシン。お洒落、ハイカラ、エレガンス…ウィンドウ越しに見える帽子は、まさに神戸のイメージを形にしたかのよう。トアロードの店舗ビル上階の工房には、使い込まれた型や道具があり、神戸マイスターはじめシャプリエ(帽子職人)たちが、ひとつひとつ帽子を仕上げています。三代目社長の渡邊百合さんがその経営を引き継いで18年、マキシンは今年創業70年を迎えました。
─工房で、最高級の素材「ブンタール」の帽子を手に取らせていただきましたが、その上質感と軽さには、本当に驚きました。
皇族方のお帽子も手掛けているので、マキシンはフォーマルというイメージがあるようですが、普段使いのものもたくさんあります。帽子とは不思議なもので、被ることでお洒落心が湧くんですね。鏡を見るきっかけにもなります。鉄道会社や、航空会社、ホテルなどユニフォームを着用される職員の方が、併せてデザインされた制帽を被ると、ぐっとプロ意識も高まるそうです。また髪のトラブルを抱える方にとって、帽子は必需品。生地が直接皮膚に触れないようにするなど、専門店ならではの工夫もしています。
─ご主人の二代目マキシン社長・渡邊浩康さんと出会われたのは?
主人と知り合ったのは、大阪万博の前年でした。時代は右肩上がりで、国際感覚や語学が必要とされていましたから、私は高校卒業後に国際学校へ行き、その後大学の仏文科で学びました。そして語学を活かして、万博のエスコートガイドのお仕事もさせていただきました。さらに勉強する考えもあったのですが、主人の熱意に押されまして、万博の年に婚約しました。
─そのご主人が1992年に急逝なさり、急遽会社経営を引き継ぐことになったのですね。
それはもう突然のことで、社員もさぞ不安だったと思います。ちょうどバブルがはじけて、これからが大変という頃です。そして3年後には阪神淡路大震災と、予想がつかないことが重なった歳月でした。会社というものはよい商品と営業力、この両輪がまわった時にうまくいくものです。私は社内をまとめることを一番に考え、皆と力を合わせて建て直しに努めました。
─苦難を乗り越える時、何が渡邊さんを支えたのでしょう?
戦前からの社名「Maxim」の名に恥じないよう、どんな時も最上のものを目指して最高の仕事をする、という決意でしょうか。「材料も技術も最高のものを」という、創業者・渡邊利武の思いを継承することが、私たちの使命ですから。そして今日まで頑張って来れたのは、帽子が似合う神戸というまちだからでしょうね。マキシンの頑張りは神戸の頑張りと思ってもらえたら、とても嬉しいです。
─若い世代に、ひとことお願いします。
まずは自分の好きなことを見つけて、「これは他人に負けない」と言えるまで勉強し、その道を極めることです。成功の機会は必ず巡ってくるものですが、それをキャッチできるかどうかはその人の姿勢次第。アクティブに生きて、人生のチャンスを掴んでください。
とみさわ かよの
神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。