
草葉達也の神戸物語
ゲスト:杉 良太郎さん(俳優)
この神戸物語を始める前に、神戸にゆかりのある方で一番会いたい人は誰かと考えた時に、一番最初に名前が思い浮かんだのが、今回お会いした杉良太郎さんでした。神戸を代表する日本の大スターで、当たり役の「遠山の金さん」は本当に大好きでした。今回はちょっと緊張しながら、お話を聞いてきました。
「初めまして、よろしくお願いします」「どうも」「杉良太郎さんが神戸出身と知っていましたが、どのあたりにお住まいでしたか?」「長田神社の近くです。だから遊び場は長田神社や鷹取山に登ったりという感じでした」 「どんな遊びをされていましたか?」「遊びと言っても、何も無い時代だったから。そうですね、まだ自然が多かったから、虫を捕ったりしていました」「他によく行かれた場所はありますか」「そうですね。よく行ったわけではないのですが、市営市場の角に肉屋があって、そこでコロッケが五円で売っていたのを覚えています。そのちょっと下にアイスキャンディー屋さんがあって、ドライアイスがもの凄くきつくて、堅いアイスだったことは、今でも懐かしく思い出すことがあります。今でもありますが、その前あたりにあるハラダのパン屋にはよく行きました。あの長田神社の商店街のところのういろう屋さんもよく行きました」「そうですか。杉さんは何歳ぐらいまで神戸にいらっしゃったのですか?」「十七歳かな。十八歳から東京に出ましたから」「当時の神戸はどんなところでしたか?」「田舎ですね。何にもないところでした」「へえ~そうですか?」「結構、街灯も無かったように覚えてますよ。子供の頃はね。今と大違いですよ」「でも新開地あたりとか賑やかだったのではないですか」「いや~ それでも暗かったね。劇場の中とかは、もの凄く明るくてビックリしたこともありましたけど、やはり街全体が暗い、そんな時代でした。聚楽館の映画や、あと松竹座で実演とかもしてましたね・・ 遊園地もあったなぁ・・」「湊川公園ですよね」「そうだったかなぁ~ あと八千代劇場っていうのがあって、そこで姉が日本舞踊の発表会で踊ったことを覚えています。そこのオーナーであり社長が、大阪の新歌舞伎座の松尾國三さんだったのですが、のちに松尾社長にはよく可愛がっていただきました。当時は知らなかったのですが、そこも社長が経営されていたんですね」「じゃ新開地へはよく行かれて、役者・杉良太郎の原点になった場所ですか」「いやいや貧乏でしたので、行ったというよりもうろついていたという感じかな。お金がなかったので、劇場に入るということはあまりなかったです。ボクらは、そんな時代でした」
「杉さんが思う神戸のイメージは?」「神戸の人というのはクールですね。あまり熱狂的にならない。大阪の方が熱くて、神戸の人は燃えない。それが独特ですね」「そうですね。スポーツでもなかなか人が入らないですね」「そうでしょ。こんなに大都市なのに歌が流行らないね。神戸から火が付いた歌はありませんから。海があって山があって、凄く良い環境があるのに生かされていないのも事実。もっともっと注目されていい土地じゃないかなぁ。政治や経済じゃなくて、文化が街を育てるんです。神戸でリーダーシップを取って旗を振ってくれる人が必要ですね。」
御両親も亡くなり、生家も無くなってしまった今でも、神戸には年に数回は帰るという杉さん。自身が作詞作曲をした『大好きふるさと』という曲で、神戸の思い出を語っているとか。お会いできるとは思っていませんでしたので、本当に嬉しかったです。いつまでもダンディーでかっこよく、神戸の杉良太郎として頑張っていただきたいですね。 杉さまありがとう!
草葉達也(くさば たつや)
神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員
日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員
大阪大学文学部研究科