
~華ひらく400年の歴史~
阪神間レトロ・モダン物語
櫻正宗株式会社 代表取締役社長 山邑太左衛門さん
―何代目になりますか。
山邑 私で11代目になります。櫻正宗の発祥は伊丹で、私どもでは「創業」でなく「創醸」と言っていますが、それが1625年のことです。魚崎に出てきて、酒だけを生業としはじめたのが1717年で、以降「山邑」と姓を名乗れるようになり、当主は山邑太左衛門の名を引き継いでいます。
―企業理念として「地域文化への貢献」を挙げていますね。
山邑 かつて魚崎は外から人が訪ねてくるような地域ではありませんでした。ここはもともと六甲おろしが直接あたる好条件の酒蔵地帯でした。そんな場所でどんな地域貢献が出来るか考えました。特に震災後、観光を含めて酒蔵に寄っていただくとか、レストランで食事をしていただいたりなど地域貢献を考えています。近年魚崎は人口も増え、阪神電車の特急も止まるようになり、週末には特に人も多くなりました。
―「櫻宴」をつくられたのもそういう意図からですか。
山邑 もちろんそうですけれど、それだけではありません。もともと「櫻宴」のある場所には古い蔵があったのです。戦争でも焼けずに残り、文化財にも指定されていた江戸時代の蔵で、釘を一本も使わずに建てられていて、しかも住宅まで残っていたのです。すごく貴重な蔵だったのですが、震災で倒壊し復興できないくらいひどい被害に遭いましたので、その廃材を利用して資料館とレストランを併設しました。私どものアイデンティティという意味もあり、震災後あのような形にしたのです。
―櫻正宗の特徴は。
山邑 麹の違いですね。麹は自社種麹なんです。昔から「麹の山邑」と言われてるくらい、麹にはこだわり、自分のところで培養しています。
また「食中酒」として料理に合うお酒を心がけています。料理がおいしくいただけて、お酒も気が付いたらたくさん飲んでいたというのが理想ですね。酒は料理の脇役に徹すると言うことですよね。日本酒は元来醸造酒で、ワインに近い食中酒ですから。近年では神戸牛に合うお酒も開発し好評です。
―伝統の銘柄をどのように今後開花させたいですか。
山邑 灘の酒には違いないのですが、灘・魚崎の「地酒」と位置づけて考えていきたいですね。
また、日本酒は杜氏の技によるところが大きいので、人がとても大切です。全国に通じる社員杜氏もいます。一人前になるには20年30年かかります。技術で「酒」はできても、それが「技」のレベルに至らないと「櫻正宗」にはなりませんので、人材養成と技術の伝承が大切です。
世の中、多様化になっていますが、もう一度品質を極めるといいますか、高品質なものを作っていきたいと思います。先代たちも品質を追求していました。やっぱり蔵元としてあるべき姿の根本は技です。これからも長く地域とともにやっていくことをコンセプトに置いて、より良いお酒を造っていく体勢を整えていきたいと思っております。

資料室、ショップ、レストラン、カフェがそろう
櫻正宗記念館「櫻宴」

「櫻正宗 金稀 無濾過 純米大吟醸 三五」1.8ℓ
は山田錦を35%まで磨いた
山邑太左衛門
昭和38(1963)年生まれ。平成6年、櫻正宗株式会社入社。平成9年、代表取締役 専務。平成15年、第十一代山邑太左衛門襲名、代表取締役社長に就任、現在に至る。灘五郷酒造組合理事。学校法人灘育英会監事。日本酒造組合中央会 日本酒で乾杯推進会議運営委員会委員