草葉達也の神戸物語

ゲスト: 小山 乃里子さん
(ラジオパーソナリティ)

 

草葉 小山さんお生まれは?
小山 北海道です。
草葉 それがまた何で神戸に?
小山 ラジオ関西のアナウンサーになるため来ました。
草葉 えっ、局アナということですか?
小山 そうですね。
草葉 就職と同時に神戸にお住まいになられたということですね。
小山 それが最終条件でした。当時はもう香里園に住んでいましたが、須磨にあったラジオ関西まで1時間半ぐらいかかりました。もう一人最終面接に残った人が神戸女学院で須磨まで歩いて5分。当時の関係者から遠いと落とされるぞと言われて、じゃ神戸に住みますと言って採用されました(笑)。
草葉 それまで神戸は?
小山 大学が関学だったので時々は遊びには来ましたよ。港行ったり、異人館行ったり・・・やっぱり波止場かな。
草葉 まだ外国船がたくさん出入りしていましたよね。
小山 あやしいとこだったのよ(笑) ラジオ関西のアナウンサーになって、先輩に色んな所に飲みに連れまわされて、みんなでわぁーって騒いでいたら警察に捕まってね(笑)。
草葉 神戸は小山さんの人生で、一番長く生活されているところになっていると思いますが、やはり自分の街という感じですか?
小山 昭和40年からですからねー、自分の街やねー。神戸の地震と時に、私の街に何するねん!と思いました。私はラジオが大好きで、ずっとラジオをやっていましたが、あの震災の時だけは、こんなことしてられへんわと思って市会議員に立候補しました。私は5年で復興すると思っていたのですが、10年はかかるという人もいて、でも5年である程度の目途はついたと思ったので辞めました。でも、いまだに1期で辞めた、逃げた、がっかりしたって言われます(笑)。
草葉 昭和40年というと、まだ新開地が賑やかで元町の端に三越があって。市電が通ってというような時ですね。
小山 須磨駅から市電でラジオ関西に通っていましたねー、衣掛町ね。
草葉 市電なんか、今あれば神戸の街もいい雰囲気なんですけどねー。
小山 何年か前に、もう一度みんなで走らせようって声を上げましたけどダメでしたね。サンフランシスコが凄い好きでね。
草葉 似ていますね。坂を市電とかケーブルみたいなものが登って行くのはいいですよね。
小山 いいですよ。また逆に山手から海へ下りてくるのもいいですねー。昔はお祭りなんか花電車とかね、綺麗だったしね。神戸の特徴みたいなものが一つ無くなってしまいました。やはり線路をもう一度作るのは大変みたいです。
草葉 話は変わりますが、私は宝塚歌劇が大好きでラジオ関西で放送されている『ビバ!タカラジェンヌ』を、若い頃によく聞いていましたが、放送開始どれぐらいになりますか?
小山 たぶん36年かな。
草葉 うぁー、そんなになりますかー! 最初から宝塚が好きで?
小山 それがあまり知らなかったのね。姉が北海道からこちらに引っ越しして来て女子高に入ったのだけど、ある日姉の部屋に入ったら、男役のこんなポーズしている写真があって、これ何と?思ったのが宝塚でした。学生時代に関学の男の子たちが神戸女学院や宝塚やって言うので、女学院? フン! 宝塚? フン!という感じで、昔は宝塚に反発していましたね(笑)。

関西のラジオ界ではノコさんの愛称で親しまれ、とても心地よいおしゃべりでファンも多く、二人で話をしていると、まるでラジオ番組に呼んでいただいた、そんな気分になりました。

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小山 乃里子(こやま のりこ)

関西学院大学文学部を卒業後、1965年にラジオ関西のアナウンサーとして入社。1971年にフリーとなり、現在まで関西のテレビ・ラジオ各局で活躍している。

くさば たつや

神戸生まれ。作家、エッセイスト。
日本ペンクラブ会員、日本演劇学会会員
神戸芸術文化会議会員、大阪大学文学部研究科
阪南大学国際コミュニケーション学部非常勤講師
ひょうご老舗会実行委員長


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目次 2013年9月号