
一杯の宮水コーヒーの夢
阪神間レトロ・モダン物語
にしむら珈琲店 代表取締役社長 吉谷博光さん
―創業は昭和23年ですね。
吉谷 今の中山手本店の入口あたりの3坪くらいでした。テーブルも3つくらいで、それも東門の古道具屋から買ってきて、3つそれぞれが違うテーブルで、椅子もばらばらだったと創業者は言っていました。
―ブレンドコーヒーではなくストレートコーヒーを最初に提案したそうですが。
吉谷 終戦直後はコーヒーも統制品で自由に入手できず、進駐軍の横流しとか、代用品とかだったのでしょう。そういう時代にストレートコーヒーを出したのです。コーヒー豆を焙煎しますと、鮮度が落ちていくようになります。かといって豆は貴重品ですから、劣化したからといって捨てるわけにもいかない。そういうことからストレートコーヒーと挽き売りをはじめて、それをどこもやってらっしゃらなかったようです。もちろん、代用コーヒーは使っていませんでした。創業者は好奇心の強く、チャレンジ精神の旺盛な方でした。そして「行儀の良い商いをしなさい」と常々言っておりました。
―「宮水コーヒー」の起源は。
吉谷 創業者は私の家内の母ですが、家内が小学校の頃に家族で六甲山にハイキングに行ったそうです。そのとき、六甲山の小川の水でコーヒーをたてたらとっても美味しかったそうで、それがヒントだったのでしょうね。その味をお客さんにもと思ったのでしょう。その六甲山系の水が地下を通って西宮に涌くのが宮水ですが、菊正宗の嘉納さんにお願いして汲ませていただくようになったそうです。
―水は大切ですね。
吉谷 もちろん水も大切ですが、やっぱりコーヒーは原料が大事です。豆はピンからキリまでありますから。その一番良いのを使いなさいと。お米で言えば「魚沼産コシヒカリ」を使うという感じでしょうか。贅沢ですけれど、損得とは別に「誤魔化しなさるな」というのが基本で、目先の利を追うなと。宮水も美味しいものを追求する中から辿り着いたのでしょうね。今でいう「コスト管理」とは逆ですけれどね、家業ですから〝生きたムダ〟をどれだけして差し上げられるか。お客様の立場ですと、例えば造花ではない生花がある店〝生きたムダ〟はムダではないのです。利益は結果に過ぎないのですよ。コーヒーはもともと生活必需品ではありませんし、コストと売り上げばかりに追い立てられますと、働いている者も余裕がなくて笑顔も出ませんよ。
―あの肉厚の白いコーヒーカップも有名ですね。
吉谷 試行錯誤の結果です。コーヒーは磁器のカップでは味が尖りすぎることが分かりました。肉厚の陶器のほうが旨みを味わえるのですよ。
―一杯のコーヒーも余裕を持って飲んでいただきたいですよね。
吉谷 コーヒーは心の余韻のようなものでしょうか。また、夢といえば夢かもしれません。昔、みんな豊かじゃなくても活き活きしていたのは、夢があったから。日本は成熟してきて、利益を追求しどこか壁に当たって疲れ切っているようです。お金がすべてではないでしょう。
コーヒーを余裕を持って楽しめないような上司の下では誰も働きたくないでしょう?もっと一日一日愉しまなければ。一度きりの人生、あの世に持って行けない金ばかり追い求めていては、そんな寂しいことはないと思いますね。

本店2階の店内。心が安らぐ空間である

にしむら珈琲店中山手本店は、
2006年5月にリニューアルした
吉谷博光さん
昭和14(1939)年生まれ。1972年にしむら珈琲店入社。1995年、代表取締役社長に就任。灘の宮水で入れるオリジナルブレンドやストレートコーヒーが評判となる。現在、神戸を中心に11店舗を構える。洋菓子ブランド「セセシオン」も展開する