
美観と文化は時を超える~ 舞子公園に集まる歴史的建築物を探訪
舞子公園
神戸市垂水区東舞子町2051
078-785-5090(管理事務所)
http://www.hyogo-park.or.jp/maiko/
JR舞子、山陽電鉄舞子公園、
高速舞子バスのりば下車、南へ徒歩約5分
Pあり(有料)
武藤山治が愛した舞子浜の西洋館を移築
11月より一般公開
舞子公園は明治33年に開園した、兵庫県の県立公園としてはもっとも歴史のある公園です。
いにしえより舞子は淡路島を望む白砂青松の景勝地として親しまれていました。現在でも立派な松林にその面影をみることができます。一方で国道2号線の拡幅、明石海峡大橋の建設などから、舞子公園は再整備され、その姿を大きく変えましたが、その一環として歴史的建造物の保存整備もおこなわれるようになりました。
それらは、「孫文記念館(移情閣)」、北側に隣接する「旧木下家住宅」として公開されています。
このたび、中国ゆかりの移情閣、和風数奇屋造の旧木下家住宅に続き、西洋風の旧武藤山治邸が舞子公園に復元され、11月7日(日)より公開されます。これにより、舞子公園の歴史的建築物群がグランドオープンとなります。
武藤山治は鐘紡の中興の祖といわれ政治家としても活躍した人物で、旧武藤山治邸は彼が明治40年に舞子海岸に建てた住宅です。武藤山治が亡くなった後、昭和12年に鐘淵紡績(株)に寄贈され、その後長らく同社の保養施設として使用されていましたが、明石海峡大橋建設の影響を受け、震災後は狩口台へ移築されていました。
平成19年に兵庫県が建物とともに家具や調度品、絵画や書籍などもあわせてカネボウ㈱より寄贈を受け、もともと建っていた舞子の地へ再び移築し、あわせて文化財指定を視野に入れ解体調査をおこない、建設当時の姿へ復元しました。現存する米国コロニアル様式の住宅としても貴重ですが、個性的な円形のバルコニーからは潮風を感じながら海や明石海峡大橋を一望することができ、絶景スポットとしてもみなさまに楽しんでいただけると思います。
併設の管理棟は建設当初に建てられていたビリヤード室を参考に外観を再現し、外壁は30層にも塗られた塗装の層から考証、建設当時のベージュとしました。内部の仕上げ材や家具調度品は昔のまま保存されており、明治期の西洋館の生活様式や住宅様式をうかがうことができます。また、絵画や蔵書などからは、芸術や文化にも造詣が深かった武藤山治の人物像が伺え、歴史を感じることができます。
舞子周辺には舞子公園の移情閣、旧木下邸家住宅、旧武藤山治邸以外にも、舞子ホテル(旧日下部邸)や舞子ビラ(旧有栖川宮別邸)とレトロモダンな建築やスポットが多くあります。景観と歴史・文化が融和した美観の地、舞子へぜひお越しください。
旧武藤山治邸
問合せ 078-737-2164
(神戸土木事務所)
入館料 大人100円
シルバー・高校生50円
中学生以下無料(予定)

兵庫県県土整備部参事
(景観・プロジェクト担当)
橘 俊光さん

円形のバルコニーが印象的な旧武藤山治邸(写真は移築前)

昭和42年頃の武藤邸

書斎
武藤山治(むとうさんじ)
慶応3年(1867)~ 昭和9年(1934)
愛知県生まれ。慶應義塾卒業後渡米、2年間苦学生として働きながら学ぶ。明治26年(1893)三井銀行へ入社し神戸支店副支配人に。翌年、鐘淵紡績(鐘紡)へ入社。工場の近代化や、労働環境の改善のほか、日本初の共済組合設置、日本初の社内報発行など福利厚生に尽力し、会社を建て直す。その後、衆議院議員に、昭和7年(1932)に政界を引退し、時事新報社相談役に就任。私財を投じ、国民の政治教育の場として国民會館を設立。晩年は国民の政治教育に尽力しつつ、論陣を張り政財界の腐敗を糾弾した。昭和9年(1934)に暴漢に襲われ凶弾に倒れた。
また、芸術や文化を愛し、すぐれた美術品を蒐集。特に与謝蕪村のコレクションは秀逸で、蕪村の画集も発行している。