
芦屋の心を伝えます
阪神間レトロ・モダン物語
株式会社 竹園 代表取締役社長 福本吉宗さん
―竹園といえば、読売ジャイアンツ、中日ドラゴンズの関西での定宿として有名です。どういった経緯があったのですか。
福本 54年前、ジャイアンツが読売新聞の販売網を使って、お肉料理をしっかり食べさせる旅館としてご指名頂いたのが竹園でした。当時の水原監督がお肉とお料理を食べ「これなら間違いない」と、ジャイアンツの定宿に決まりました。翌年、それに倣えばとドラゴンズさんも来られるようになったと聞いております。
―選手の食事も50年で変わってきたのでしょうね。
福本 昔の選手さんは肉を800グラムは食べました。今の選手はヘルシー志向でバランス良く食べられます。お肉も200グラム程度、昔はロース、今はヘレが多いですね。
―おもてなしで気を付けていることは?
福本 竹園は、外観はホテル、サービスは旅館。我が家と同じようにくつろぎたいという選手の希望に沿うために必要なのは過剰ではなく、真心こもったおもてなしです。幸い、こじんまりした規模ですから、客室からフロント、フロントから外出へもしやすく、JR芦屋駅すぐという立地にも恵まれています。24年前の立て替え時も基本的に野球選手ありきで、実は当時の一軍のメンバーが約40名でしたので、おもてなしに丁度良い51部屋に設定。「Bar 9th」は9階にあるというだけでなく、野球が9回までの試合に因んでいるのです。
―試合の結果で気を遣うのでは?
福本 負けても勝っても、極力同じスタンスを心がけ、お迎えは「お疲れさまでした」の一言です。
―お料理には苦労されているのでしょうね。
福本 5日間のバイキングですから、飽きのこない献立とどなた様の口にも合う味付けを工夫しています。関東出身の初代料理長が祖父に命じられ料理を開発しましたので味は東西ミックス。塩分を配慮しつつ強い味付けもよく考えられています。名古屋のドラゴンズさん向けの味噌味も試行錯誤したようです。当時東映フライヤーズにおられた、韓国人コーチに仕込まれた醤油ベースの甘辛の味付けも好評です。
―60年以上前、芦屋で精肉店として開業した竹園ですが、お肉へのこだわりは?
福本 標記としては「但馬牛」とさせていただいています。年間通してみれば神戸ビーフを仕入るのが多いのですが、神戸ビーフのランクに漏れた但馬牛でも優秀な場合が多々あり、目利きによっては仕入れることがあるからです。数年前にも、神戸の食肉卸の社長さんから「今、本当に但馬牛、神戸ビーフだけを扱っているのは阪神間で竹園さんだけです。今後も続けてください」と言っていただきました。このこだわりは変えるつもりはなく、私どもの使命だと思っています。
―地元・芦屋への思いは?
福本 〝芦屋村〟というイメージが強く、古き良き横のつながりがあります。いい町だなあと思います。大切にしたいですね。竹園は芦屋の町に嫌われたら商売はできません。出来る限りの地域貢献をしたいと思っています。最近は、治安や青少年の非行など気になっています。防犯協会さんや交通安全協会さんのお手伝いも、ティッシュ配りのような些細なことからさせていただいています。
―4年前、新旧交代されましがご苦労はありましたか。
福本 正直、当時は社員の平均年齢が高かったものですから、定年退職、リストラ、新規採用などでスタッフの入れ替えが必要でした。古くからのお客さまには今までと同じように接するように心がけ、変わらずのご利用をお願いするしかなかったですね。新規スタッフには竹園の心を徹底して知ってもらおうと、すぐに教育を始めました。経営についてはどうすれば経営健全化につながるのかを考え、実行し、お陰さまで順調な推移で成長を続けてくることができました。
―好きな言葉は「我以外皆我師」だそうですが、意味は?
福本 普段の何気ない会話も、町で出会う人とのお話しも全てがいいお話しです。皆さんから聞かせていただいているという謙虚な気持ちでいたいという思いです。
―竹園の今後の方針や方向性は?
福本 まずこの地域の人たちと一緒に歩んでいきたいということ。そして、50年、100年先まで竹園の心が受け継がれていくように、長い目で見守り人を育てていきたいと思っています。
―これからも竹園の心、ひいては芦屋の心を伝えるためにご尽力下さい。
福本吉宗さん
昭和44(1969)年生まれ。1993年、桃山学院大学経済学部経済学科卒業。1993年、相互信用金庫入庫。1994年、株式会社竹園入社。2006年、株式会社竹園代表取締役に就任、現在に至る。代表取締役就任後、芦屋市商工会総代他、諸団体要職を歴任する。神戸市東灘区在住