[海船港(ウミ フネ ミナト)]サン・プリンセスで航く南千島・国後水道

文・写真 上川庄二郎

国後島の最高峰・爺爺岳(国後島北端ルルイ岬沖合を航海中のサン・プリンセスから)

国後島の最高峰・爺爺岳(国後島北端ルルイ岬沖合を航海中のサン・プリンセスから)

【国後水道を航行するサン・プリンセス】
一夜明け(2013.6.17)、霧も晴れた国後島北端を静かに航行するサン・プリンセス。生まれて初めて見る国後(くなしり)島の最高峰・爺爺(ちゃちゃ)岳。独特の形をした山である。噴火口の中にもう一つ山が出来ている。一目見て火山であることが分かる。
この景色を、千数百人もの日本人乗船客はどんな思いで見入ったことだろう。こんな機会だ。少し北方領土について考えてみるのも意味あることではなかろうか。

【そもそも北方領土問題って?】
そもそも北方領土問題はどうして起こったのか、振り返って見てみよう。
それは終戦間近に英米露三か国で持たれたヤルタ会談に端を発する。ルーズベルト大統領は、ソ連に対日戦への参戦を求め、スターリンが、その代償として求めた一つが、「千島列島がソヴィエト連邦に引き渡されること」であった。いわゆる「ヤルタ協定」である。
一方、サンフランシスコ講和条約によっていくつかの権利・権限等を放棄したが、そのひとつが「日本国は、千島列島並びに日本国が1905年9月5日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権限及び請求権を放棄する。(第2条(c))」である。しかし、北方4島が我が国固有の領土であることなども何処にも明記されていない。このように、講和条約では千島列島の範囲が甚だ不透明であったと云えるし又その帰属も決めていない。
これより以前の終戦直後間もなく、ソ連軍は、先ず得撫(うるっぷ)島以北を占領し、次いでわが国固有の領土である北方4島(択捉島以南)に米軍が進駐していないことを確認してから攻め込んで来、9月1日に国後・択捉と色丹島を、2日~4日にかけて歯舞諸島を占領してしまい現在に至っている(少なくとも平和的な移管ではない)。
以上のような経緯で、戦後68年間に亘り、択捉、国後、歯舞、色丹の4島はロシアの実効支配下におかれたままになっているのが現実である。

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【北方4島は、紛れもない日本固有の領土】
あまり古い話から取り上げていると紙面が足りないので、日露通好条約(下田条約)、千島・樺太交換条約以降を中心に見てゆくとしよう。
先ず、安政元年12月21日(1855.2.7)伊豆の下田で日本とロシア帝国の間で取り決められた日露通好条約では、領土問題に関しては、①千島列島における日本とロシアの国境を得撫島と択捉島の間とする。②樺太においては、国境を定めず、これまでの慣習のままとする。つまり、これまでどおり両国民の混在の地とすると決められた。
1856年にクリミヤ戦争が終わるとロシアの樺太開発が本格化し、日露の紛争が明治に入っても頻発するようになった。結局明治8(1875)年5月7日、日本は樺太・千島交換条約に調印する。
「サハリン島に対する諸権利をロシアへの譲渡の代わりにクリル諸島のグループは日本に属する。このグループは、以下に挙げる18島を含む。(1)シュムシュ島…途中省略…(18)ウルプ(以下略)」。(フランス語正文訳)
これが樺太・千島交換条約の領土に関連した部分である。日露通好条約において択捉島以南のいわゆる北方4島はこの時当時すでに日本領として確定していたから何ら問題にはならなかった。
条約本文がフランス語なので日本語訳を巡って、戦後日本国内でもサンフランシスコ講和条約で曖昧になっていた択捉以南の4島について意見は分かれたが、最終的な政府見解は、「北方領土は日本固有の領土であるので、日本が放棄した千島には含まれていない」とされ今日に至っている。掛け替えのない固有の領土であることに間違いはないと考える。

【ロシアの一方的実効支配】
しかし現実には、終戦とともに実効支配され、日本人は全て強制送還されてしまってロシア人が住みつくところとなった。68年の歳月の経過は大きい。千島生まれの人たちが既にお爺さん、お婆さんになり孫子の代まで進んでいる。こういった難しい問題を含んだ領土問題をおいそれと解決する道筋を見出すことは大変困難であることも認識しなくてはならない。

【生かそう! スヴァルバール条約の精神】
1998年にノルウェー・フィヨルドクルーズで訪ねた際、北極圏にあるスヴァルバール諸島にも訪ねる機会に恵まれた。この目で見聞したことや、現地の案内所で貰った資料のことを思い出し見直してみた。
スヴァルバール諸島は、ノルウェー北方約千㎞の北極海の中にある群島だが、この領有権を巡って長く未解決のまま放置されていた。第一次大戦終了後の1920年に解決を見、その時成立したのがスヴァルバール条約である。
この条約によると、スヴァルバール諸島に対する領有権はノルウェーに属するが、条約調印国(原加盟国は第一次大戦戦勝国|米、英、始め日本を含む9か国|だったが、1925年の条約発効時点で45か国が加入)のすべての国に、漁業、狩猟、鉱業などの経済・産業活動と平等に入国・居住する権利が認められるところとなった。
軍事目的での利用を禁じ、平和利用の発展を謳っているところがユニークである。
この条約の精神を北方領土にも取り入れることができないものだろうか。
現に、南極条約でも領土権の凍結、軍事利用の禁止、国際協力・協調とスヴァルバール条約の精神が取り入れられているではないか。

【「択捉・国後・歯舞・色丹条約」を考えよう!】
まず関係当事国として、現在の北方領土問題を引き起こしたヤルタ協定参加国(米、英、露)及び日本の4カ国が加盟して「択捉・国後・歯舞・色丹条約」を締結しよう。
領有権は、2島にするか4島になるか、日露いずれの国に属するかは、これからの交渉次第だが、少なくとも領有権以外のあらゆる権利を共有するものとする。もちろん、4島の持つ200海里の排他的経済水域も共有することとなる。
そうすれば、日本人にも平等に居住権が与えられ、漁業権、資源探査・採掘権も与えられ、あらゆる経済・産業活動が自由に行える。
さきにも書いたように、親子三代に亘って居住し、生活しているロシア人とうまく付き合ってゆくしかない。〝共存の島〟を標榜することによって和解の道が開かれないものだろうか。領有権問題を曖昧にしたままで安易な解決は許されないと思われるだろうか。
プーチン大統領も「我々は勝利を得ようとはしてはならない。受け入れ可能な妥協案を探るべきだ。それは引き分けのようなものだ」と言っているではありませんか。
ガチンコに突っ張り合っていてもロシアは何も困らない。相手にとっては、碁で言えば〝花見こう〟のようなもの。悪戯に時が過ぎてゆくだけで日本に有利に働かないことを日本人はもっと理解すべきだと思う。
今回の国境を巡るクルーズが、改めて私たちに問題提起をしてくれたように思う。

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参考図書 木村 汎編:北方領土を考える  重光 晶:「北方領土」とソ連外交  木村 汎:日露国境交渉史  
太田 昌秀:国境を考える  上川庄二郎:極地の国の福祉国家ノルウェーに学ぶ 同:南極漫歩

■かみかわ しょうじろう

 1935年生まれ。
 神戸大学卒。神戸市に入り、消防局長を最後に定年退職。その後、関西学院大学、大阪産業大学非常勤講師を経て、現在、フリーライター。


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目次 2013年10月号