神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 神戸の芸術・文化人編 第47回

剪画・文
とみさわかよの

飛雲会名誉会長・兵庫県書作家協会顧問
菅野 清峯(すがの せいほう)さん

書というと流麗なかな作品や整然と並んだ漢字作品が思い浮かびますが、前衛書の作品はまるで異なります。墨を叩きつけたかのような文字は、心得がなければ読むのは難しいでしょう。文字そのものを造形して表現する前衛書は「墨象(ぼくしょう)」とも呼ばれ、その先駆者の上田桑鳩や宇野雪村に学んだのが菅野清峯さん。ご自身の創作活動はもとより、前衛書の団体・飛雲会の重鎮として展覧会開催や後継の指導に力を注いでおられます。「どの文字を取り上げ、どのように表現するか。構想を練るのに一番時間が掛かります」とおっしゃる菅野さんに、お話をうかがいました。

―書家になられる前は、小・中学校の教員をしておられたそうですね。
 子どもが好きだったので教師になりたくて師範学校へ進み、卒業後は「田舎教師になる」と加東市の小学校に赴任しました。でも教え始めてから、自分の受けた教育とのあまりのギャップに苦しみました。私が受けたのは軍国主義教育、戦後の教育は民主主義ですから違っていて当然ですが、教育というものは時代が変わっても同じ理念があっても然るべきなのに…と悩んだのです。いくら自分の受けた教育が偏向していたと頭でわかっていても、納得がいきませんでした。何か変わらぬ価値に貫かれたものは無いか?と考えた末に、芸術は普遍なのではないかと感じ、ならばそれをやってみようと思ったのです。

―それで書の世界に入られたのですか。
 教員をしていましたから、芸術科目も最低限のことは学んでいました。音楽や絵画は不向きとわかっていたので、書を本格的にやってみようとこの世界に足を踏み入れたのです。しかし書も簡単なものではなく、まずは基礎を徹底的に学ばねばなりませんでした。そして上田先生、宇野先生と出会い、お二人の影響を受けてそれを発展させてきました。書を本格的にやろうと24歳の時、書家を目指す決意をもって加東市を離れます。本当は東京に出たかったのですが、何分農家の長男ですので父に猛反対され、阪神間に留まりました。

―その後も学校で、書を教えてこられました。
 書に専念するために公立学校の教員を45歳で辞めたのですが、武庫川学院からぜひにと頼まれ、附属の中学校・高等学校で教鞭を取り、後に武庫川女子大学でも教授を務めました。結局芸術を追求しつつも教育と離れられない人生でしたね。書は小中学校では国語科の書写、高校では芸術科の書道ですが、その教員を育てる大学では多くの内容の指導が必要となります。私はすべての校種で教えてきましたから、その経験は大学の講義で大いに役立ちました。

―日本の芸術観は開国で一変し、また終戦で一変しました。書はどう扱われ、どう変わっていったのでしょう。
 戦前の書は画一的で、岡倉天心が「書は芸術に非ず」と言ったように官展に書の部門はありませんでした。しかし戦後は日展に書の部門が加わり、漢字・かな・篆刻・刻字・近代詩文書・前衛・大字書などの多くの団体が誕生し、毎日書道会、読売書法会がそれらをさらに発展させました。書はどんどん変化・進化していき、現在に至ります。私の所属する飛雲会は前衛書の草分け的存在で、「芸術とは、書とは何か?」を模索して理論と実践を重ね、「新しい書の創造が必要」という上田桑鳩先生の昭和28年の日展離脱に続きました。以後も古典を踏まえて現代書はどうあるべきか?を追求しています。

―芸術としての書とは、どういうものなのでしょうか。
 文字はもともと言葉の伝達記号ですから、その意味は「読む」ことが前提です。そこで書の展覧会では、どうしても読むことが先に立ちます。しかし芸術としての書を見ることと、読むこととは別なのです。我々が書を書くのは言葉を伝達するためではなく、芸術を創り上げるためであり、その造形美を追求しているのですから。「書は文字の意味に従属しない」というのが、前衛書の基本理念でもあるのです。

―前衛書は、一見ひらめきで書いているように見えますが…。
 書を学んだことのない者が思いつきで書いても作品らしいものはできますし、偶然に上手くできることもあるでしょう。しかし果たしてそれが書としての深さ、趣きを持ちうるでしょうか?基礎をきちんとやっているかどうかによって、書の美の高さ・深さが違ってきます。書くのは一瞬でも、その背後に数えきれない臨書と反復練磨があってこそ、優れた作品を生み出せる。前衛書と言えども、やはり古典から学ぶ臨書は大切なのです。

―何事も、表現に至るまでの道のりは長いということですね。最後に、ご自身の創作への思いをお聞かせください。
 三千年、四千年を経て残っている古典には、そこに包含されている書の美があります。そこから発展させて、初めて自分の表現と言える。整斉美に対し、前衛書は「変化の美」の作が多いのですから、一つ所に留まるとそこで発展は停止してしまいます。多様な表現があり、私自身この方向でいいのかと絶えず反芻しながらですが、やはり生涯ずっと書を発展させていきたいと願っています。

(2013年11月1日取材)

「鋤」

「鋤」

とみさわ かよの

神戸市出身・在住。剪画作家。石田良介日本剪画協会会長に師事。
神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。
日本剪画協会会員・認定講師。神戸芸術文化会議会員。


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目次 2013年12月号