神戸鉄人伝(こうべくろがねびとでん) 特別インタビュー 第51回

剪画・文
とみさわかよの

公益財団法人神戸国際協力交流センター理事長(前神戸市長)
矢田 立郎さん

昨年11月に3期12年の任務を全うされた矢田立郎・前市長。震災後の神戸市財政を立て直し、神戸空港、医療産業都市、デザイン都市など神戸の新しい顔も創ってこられました。「耳に触りのいいこと言うだけで何もできとらん、言われたらいけないからね。何事も常に検証しながら進めました」と今も謙虚な姿勢を貫いておられますが、実際には耳触りいいことを言うことすらできない、ひたすら厳しい12年間だったはずです。正に嵐の中の舵取りを担った矢田前市長に、お話をうかがいました。

―市長になられたのは2001年、震災の傷も癒えないまちを背負われました。
私自身は神戸市に勤め、2000年に退職して福祉関係の仕事をしていましたが、その後市助役に任ぜられました。前市長が3期で終えると表明され周囲から立候補を言われたのですが、家族は反対するし、断り続けていたんです。でも震災後の神戸市は「夕張市を上回る財政再建団体になる」と言われるなど、様々な問題を抱えていました。神戸を再生させなくてはという思いから、結果的に任に就くことになったのです。

―通期で最も力を注がれたことは?
まず、財政再建です。財政再生緊急宣言をし、震災復興以外の施策は重点的なものに絞り込みました。しかし限られた財源の中でも、命を守るための医療・福祉は維持しなければなりません。敬老パスの見直しなどもありましたが、医療・福祉には多額の予算を確保してきました。また復興には市民の働く場が必要ですから、医療産業や介護認定などの分野を中心に3期で6万人の雇用を生み出しました。そして忘れてはならないのが危機管理。危機管理監を置き、緊急時に迅速・的確に対応できるようにしました。4号館(危機管理センター)に機能を集め、各地拠点には緊急物資を備蓄するなどの体制も作りました。

―任期中はご苦労が絶えなかったと思いますが、走り続けることができた原動力は何だったのでしょう?
市民の皆さんが「神戸のまちが好き、このまちに住んでよかった」とおっしゃられることが、何よりの原動力でした。それを支えるのが行政の仕事です。重工業などのハード産業、ファッションなどのソフト産業、最先端の医療産業と、神戸にはいつも時代を先取りした産業がある。そして陸海空の拠点があって、日本の物流を支えている。市民が神戸をオンリーワンの都市にしたいと願ってきたから、このまちは発展したのです。そんな神戸を再建しようと、市民と一体感を持って走り続けることができたのは幸いでした。

―まちの魅力を生み出すものは、何だと思われますか?
都市の魅力を生み出すのは、やはり人です。人が集まるまちであること、それがまちの魅力を作っていくのです。神戸はポートピア’81、ユニバーシアード大会、アーバンリゾートフェア神戸’93といったイベント、工業団地やニュータウンの造成で多くの人を集めてきました。これからはスーパーコンピューターや最先端医療、そして神戸デザイン・クリエィティブセンターに集まるクリエイターに活躍してもらわなくては。知の拠点として、新たな創造の連鎖が生まれることを期待しています。

―神戸市民と神戸のまちに、エールをお願いします。
来年で震災20年になりますが、この間に我々が培ったスピリッツ、防災・減災の精神を語り継ぎ、緊急時の対応を訓練しておくことはとても大切です。住んでよかった、これからも住みたいと思える神戸のまちを、次世代に残していきたいですね。
(2014年1月27日取材)

飾り気のない口調に、真面目なお人柄と決して弱音を吐かない厳しさが感じられました。12年間、本当にお疲れ様でした!

とみさわ かよの

神戸のまちとそこに生きる人々を剪画(切り絵)で描き続けている。平成25年度神戸市文化奨励賞受賞。神戸市出身・在住。日本剪画協会会員・認定講師、神戸芸術文化会議会員、神戸新聞文化センター講師。


ページのトップへ

目次 2014年3月号